みろくじ
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
弥勒寺について
知多四国 83番札所
八角形の宝篋印塔(ほうきょういんとう)を中心に、無数の赤い大きな提灯が色鮮やかな印象のお寺。この宝篋印塔を時計回りに3回まわって参拝すると、願いが叶うということも•••?
付近に、東海市役所、大池公園があります。
ガン封じのお守りは一体300円
ご本尊御御影は一枚200円です。
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知多四国八十八ヶ所巡りの6寺目は、東海市大田町に在る第83番札所の待暁山 弥勒寺です。
5寺目の玄猷寺から西へ約1.5km、名鉄常滑線と名鉄河和線とに別れるキー駅となる太田川駅の近くです。
真言宗智山派で、本尊は弥勒菩薩。
この本尊・弥勒菩薩坐像は市指定文化財で、金剛力士立像も市指定文化財です。
弥勒菩薩坐像は秘仏で、毎年5月8日に開帳されるとの事で、5月8日に参拝した次第です。
749年に行基が開基という伝えと、814年に空海が一宇を建立されたのが始まりという伝えがあります。最盛期には一山六ヵ寺七堂伽藍という大寺院であったと伝わりますが、戦国時代にこの地を攻めた鳥羽城主・九鬼嘉隆の軍勢により、本尊と仁王像以外は焼失。その後、尾張藩2代藩主の徳川光友の寄進により、元禄年間(1668~1703年)に再建されたとの事です。
仁王門の左側に駐車場がありましたので停めさせて頂きました。西側に境内へ行く道もありました。車の祈祷用または高齢者用かと。
仁王門の表側に真新しい金剛力士立像(阿形、吽形)があり、裏側には市指定文化財の平安時代末期作の金剛力士立像がありました。高さ約2.73mと大きいですが、長年風雨に晒されてきたためかなり傷んでいます。これ以上酷くならない事を祈るばかりです。(金網があるのでピント合わせが難しい。)
参道を上がると正面に本堂です。着いた時は法要の真っ最中、近くにご住職の奥様と思われる方がいらっしゃったので「何時頃から本尊の拝観ができますか?」とお聞きした所、「法要は11時に始まったので、12時少し前には終わるからその後に。」との事でしたので、「それなら先にお大師さんに手を合わせて来ます。」と返答しました。本堂の先にガラス張りで八角形の建物の御宝塔堂、真ん中に宝篋印塔がありました。宝篋印塔を取り囲む建物は初めて見ました。宝篋印塔の周りを右回りに3度廻ると御利益があるそうです。その先に客殿、本堂より全然大きいです。堂内は真ん中に弘法大師、左側に興教大師(真言宗中興の祖・覚鑁)、右側に不動明王が祀られていました。
本堂に戻ってきて程なくして法要が終わり、檀家さんや祈祷依頼された方が退場されてから本堂に入らせて頂きました。(一般拝観者は私1人だけだった模様) 本尊・弥勒菩薩坐像は高さ80cm、室町時代の作、素地、襞の彫りは割と深めでしたが、襞の数が少なく簡素化されている様に見えました。
御宝塔堂は庫裏と繋がっていて、御宝塔堂の右側に納経所がありましたので御朱印を頂きました。その時に「お待たせして済みませんでしたね。」と仰って下さいました。心が行き届く方ですね。
御朱印
仁王門
表側の阿形
表側の吽形
裏側の阿形
裏側の吽形
参道
法要中の本堂
法要後の本堂
手水
御宝塔堂
宝篋印塔(御宝塔堂の真ん中)
特大鬼面撫五鈷杵
左:伏見稲荷、右:天満宮
左:白山大権現、右:十一面観音
客殿
歴史
天平勝宝元年(749)行基の開基。当時は、一山六ヵ寺堂伽藍の大寺であった。
戦国時代に兵火により全焼してしまう。
元禄年間(1688~1704)藩主光友の寄進により再建。
(東海市史より)
名称 | 弥勒寺 |
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読み方 | みろくじ |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0562-33-1145 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
おみくじ | あり |
巡礼の詳細情報
知多四国霊場 |
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詳細情報
ご本尊 | 弥勒菩薩座像(秘仏)
三つ葉葵の紋のある一間四面の権現造りの厨子内に安置してある。 |
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宗旨・宗派 | |
創建時代 | 天平勝宝元年(749) |
開山・開基 | 行基 |
ご由緒 | 天平勝宝元年(749)行基の開基。当時は、一山六ヵ寺堂伽藍の大寺であった。
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体験 | おみくじ御朱印お守り札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 弥勒寺(みろくじ)は、愛知県東海市大田町にある真言宗智山派の寺院。知多四国霊場の第83番札所である。 |
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歴史 | 沿革[編集] 天平勝宝元年(749年)に行基が創建した[1]とも、弘仁5年(814年)に空海が創建した[2]とも伝えられる。 最盛期には一山六ケ寺七堂伽藍を有したというが、関ヶ原の戦いで西軍についた九鬼嘉隆の軍勢による襲撃を受け[注釈 1]、仁王門と本尊の弥勒菩薩を除いて焼失してしまう。 元禄年間(1688年 - 1704年)になって、尾張藩第2代藩主・徳川光友の寄進により再建された[注釈 2]。 その後、江戸時代後期から明治時代半ばにかけて無住状態が続く[3]など再び衰退するも、大正時代に入ってから境内の宝篋印塔が「現世利益の祈願塔」として知られるようになり[1][4]、再興を果たす。...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 鉄道(公共交通機関) 名鉄常滑線・河和線の太田川駅を下車し、徒歩で約10分。同駅からは寺へは、北口から向うほうが、南口に比べて近い。 自動車(自家用車) 伊勢湾岸自動車道・西知多産業道路の東海インターチェンジ、もしくは名古屋高速道路4号東海線の東海新宝出入口から約15分。 仁王門に隣接して、参拝者用の駐車場がある。境内南西側の坂道から伽藍のある丘の上へ上がることもできるが、崩落の危険があるため、重量5.5トン以上の車は通行禁止。 |
引用元情報 | 「弥勒寺 (東海市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BC%A5%E5%8B%92%E5%AF%BA%20%28%E6%9D%B1%E6%B5%B7%E5%B8%82%29&oldid=98060057 |
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