えいせんじ|曹洞宗|石堂山
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先の愛知県瀬戸市下半田川町から北へ約1km行くと岐阜県多治見市に入ります。多治見市には以前から気になっていた寺院がありましたので、アポは取っておりませんが近くでしたから行ってみる事にしました。
石堂山 永泉寺です。
曹洞宗で、本尊は聖観音菩薩。
この本尊・聖観音菩薩立像は重文で、他に所蔵の千手千眼観音菩薩立像、十一面観音菩薩坐像、愛染明王坐像は市指定文化財です。
奈良時代に行基により、地蔵院・蓮華院・仏光院・明円院・観音院の池田五山が開かれ、東濃地方の華厳宗の一大道場として栄えたが、やがて衰退し、鎌倉時代以降は真言宗に改宗。寛文年間(1661~73年)に名古屋・善篤寺の雲山和尚により蓮華院を再興し、曹洞宗に改宗して永泉寺に寺号を改めた。結果的に永泉寺だけが残り、他の寺院からの仏像が遷されたとの事です。
境内の南側に広い駐車場がありました。国道19号線を背にして南側に建てられています。山門をくぐると割と広めの境内。境内は綺麗にされています。正面に本堂、左側に鐘楼、弘法堂、観音堂で、右側に天然記念物のイチョウ、庫裏です。本堂を含めお堂は扉が閉ざされていました。
弘法堂をガラス戸越しに覗いてみると、赤い頭巾を被った弘法大師像とその後に愛染明王坐像、この愛染明王坐像は市指定文化財なのかもしれません。観音堂もガラス戸越しに覗いてみると、真ん中に十一面観音立像が祀られていて、両隅に仁王像がありました。
人気が無く、物音一つしないため、ご不在と思いました。
同じ多治見市の虎渓山 永保寺には樹齢700年と言われる天然記念物のイチョウがあります。樹高25.5m、枝張21.2m、幹周4.4m。こちらのイチョウは樹齢400年と言われ、樹高27m、枝張19m、幹周3.9m。どちらも負けず劣らずです。紅葉時期に永保寺のイチョウを観に行った時に、こちらのイチョウも観に来ようと思います。
山門
鐘楼
本堂
弘法堂
観音堂
天然記念物のイチョウ
16時半過ぎの参拝、一通り散策後に防災無線のメロディーにて17時を知って退散。
また改めて再訪したいですね。
山門、惣門
東濃三弘法第2番札所との事で、1番札所は福壽寺(薬師霊場)
文化財一覧弘法堂と観音堂
左側のお堂は弘法大師さんが祀られています
子安聖観世音菩薩
鐘楼堂
イチョウの木は、とても大きく高い。
名称 | 永泉寺 |
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読み方 | えいせんじ |
トイレ | 山門横(東側) |
電話番号 | 0572-22-0892 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 聖観世音菩薩 |
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山号 | 石堂山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
開山・開基 | 伝、行基 |
文化財 | 国指定:木造聖観音菩薩立像
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体験 | 重要文化財札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 永泉寺(えいせんじ)は岐阜県多治見市池田町にある曹洞宗の寺院。山号は石堂山。 |
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歴史 | 歴史[編集] 伝承では奈良時代に光明皇后の御願にて天皇の勅宣により行基が華厳宗の寺院として開山し、一山五箇寺の寺院を配置し仏道修行の道場としたのが始まりと伝わる。 行基は千手千眼観世音菩薩立像を彫刻して本尊として安置し可児道場と名付けた。 これに属する一山五箇寺は、明圓寺、地蔵院、蓮華院、佛光院、観音院の5つの寺院が立ち並び池田五山と称して寺運は隆盛していた。 この頃、夢窓疎石が明圓寺に3年間寄寓し、虎渓山を発見して永保寺を建てたと伝わる。 その後、庇護者を失い衰微したが、鎌倉時代に僧の宗憲が明圓寺と地蔵院を合併し真言宗の密教に改宗し可児道場を主宰した。 江戸時代に入って後も寺は次第に衰...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「永泉寺 (多治見市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B0%B8%E6%B3%89%E5%AF%BA%20%28%E5%A4%9A%E6%B2%BB%E8%A6%8B%E5%B8%82%29&oldid=101545653 |
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