かんのんじ(やまざきしょうてん)|真言宗系単立|妙音山
観音寺(山崎聖天)京都府 山崎駅
9:00~17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
GoogleMAPを眺めていたら近くに居たのでお参りに伺いました。
入口から長い階段を登ると境内と本堂がありました。当日は雨模様の為、境内には誰も居ませんでした。御朱印も頂ける場所が分からずお参りのみ致しました。
前回お参りした時に頂けなかった御朱印をゲットしました。
平安時代に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。その後、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、中興開山します。それ以後、歓喜天(かんぎてん)を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。こうしたことで、本尊の十一面千手観音菩薩よりも 歓喜天への信仰によって、「山崎の聖天さん」として知られるようになりました。
しかし、江戸幕府末の禁門の変で、長州の尊皇攘夷派の部隊が山崎の地に陣を取ったことにより、戦火に巻き込まれ、山崎は幕府軍と長州派の戦いにより、壊滅的な被害を受けます。ここもこの時の火によって、事前に避難させた本尊の十一面千手観世音菩薩と歓喜天像以外を残して焼失してしまいました。
明治時代に入り観音寺は順次復興され、現在ある建物は西観音寺の本堂や、聖天堂や鐘楼などを移して再建されたものです。
参道の途中に鎮守の稲荷社があったのですが、前回見落としていたので、お参り。
急な石段の途中にある仁王門も潜ってきました。
御朱印 歓喜天
稲荷大明神鳥居
稲荷大明神本殿
境内への石段
仁王門
金剛力士像(阿形)
金剛力士像(吽形)
仁王門より境内への石段
山崎めぐりで伺いました。
寶積寺より東方向の山の中腹にあります。
JRと阪急の踏切辺りよりずーっと急な石段が続きます。
暑くて汗だくでした。
境内入ると一気に視界が広がり、静かですが、いいお寺でした。
ちょうどおつとめされていて、その中でのお参りです。間の悪いことに、御朱印授与のお休みの日でいただけず。またリベンジします。
境内への石段 上より
上より 仁王門
水天宮
庫裡
宝篋印塔
鐘楼
本堂
光明殿
聖天堂
本堂
由緒
地蔵像
薬師如来堂
寺伝によると、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。
その後、衰退しますが、江戸時代初期に摂津箕面勝尾寺の僧・木食上人以空が、この地にあった聖徳太子の作と伝えられる十一面千手観世音菩薩を本尊とし、中興開山します。
それ以後、歓喜天を祀り、霊元、東山、中御門天皇の厚い帰依を受け、商売繁盛家運隆昌を願う住友家、鴻池家、三井家などの信仰や、京都、堺など商人の参詣を得て大いに発展します。
名称 | 観音寺(山崎聖天) |
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読み方 | かんのんじ(やまざきしょうてん) |
参拝時間 | 9:00~17:00 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-956-0016 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 十一面千手観音菩薩 |
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山号 | 妙音山 |
宗旨・宗派 | 真言宗系単立 |
創建時代 | 899年(昌泰2年) |
開山・開基 | 寛平法皇 |
ご由緒 | 寺伝によると、平安時代の昌泰2年(899)に宇多法皇が御願寺として創建されと伝えられます。
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体験 | 花の名所 |
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