浄土宗
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方慶岸寺のお参りの記録一覧
絞り込み

慶岸寺
往還の西の側にあり。浄土宗神奈川宿慶運寺末入倉山究竟院と号す。開山は昭覚究竟慶岸、天正9年3月15日示寂す。客殿6間四方東に向ふ。本尊弥陀の立像長3尺慶春の作。脇士勢至観音共に長1尺ばかりなるを安す。
門、柱間7尺東に向ふ。客殿より23間ほど距て往還にたつ。
地蔵堂。門にいりて左の側らにあり、3間に2間。本尊立像にて長さ6尺作詳かならず。寛永6年江戸鮫河橋に住める権兵衛といへるもの発起にて、この像を相州某寺へ納むるとてこの門前に憩しに、如何なる因縁にや像たちまち重くなるてうごかず、なすべきやうなければここに安置すと当寺の記録にのせたり。をぼつかなき説なり。
監持稲荷祠。門をいりて左のかたにたてり。小き祠なり。前に鳥居をたつ。古へは当村の濱の邊にあり。そのころは漁者つねにこの社前につどひ集り、汐のときを待て猟船をいたすゆへこの名をとなへり。近きころこの寺へうつせりと云ふ。(新編武蔵風土記稿より)

慶岸寺の境内社。
江戸時代後期、それらの茶屋の中に客寄せのためにクマを飼っている店が2軒ありました。
1軒のクマが黒い普通のクマ、もう1軒はアルビノの白いクマを飼っていました。
シーボルトの日記に神奈川から川崎の間で黒いクマを見たという記述がありますが、これが生麦で飼われていたクマだといわれています。
やがて黒いクマは老衰で死んでしまいました。
先ほどの慶岸寺にクマを飼っていた店「熊茶屋」のお墓があります。
もう1匹の白いクマはもう少し長く生きていたのですが、文政12年(1829)に突然暴れ出して手がつけられなくなり、危険と判断した村人たちに殴り殺されてしまいました。
飼い主は死んだ白いクマを哀れんで、供養のために石碑を建てました。
それが白熊神社です。
もともとは白いクマを飼っていた茶屋の裏手、現在は魚屋さんの裏にあたる場所にあったのですが、最近先述の慶岸寺境内に移設されました。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ












