真言宗室生寺派
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雨も降りそうであったし、今日は行くのは辞めようか?などと悩みながらも駅から近い!と、参拝したのが、こちらの真言宗寺院である。
こちらのお寺の魅力は、四国八十八ヶ所霊場を体現できることだろう。
この門は常に開いているものではなく、土日祝日のみなのだそうだ。
おおおお、来て良かった。
杉並区というと、高級住宅街、ゆったりとした戸建てばかりというイメージがある。
そんな中にある広い敷地の昔ながらの古刹。別世界に入ったような、そんな感覚であった。
尚、すぐ隣にある和泉熊野神社は明治までは別当であったらしい。
緑さす 古刹守りし 大師様
GW前半は空いている都内の寺社めぐり😊観光地以外は道路も空いています👍花見もできないまま桜は散り期待していなかったのですが、新緑がとてもきれいで感動のお参りでした🤗
以下は杉並区のホームページより
当寺は泉涌山医王院と号する真言宗室生寺派の寺院です。本尊は薬師如来立像で、杉並区内では珍しい平安時代末期(12世紀前半)に造立されたものです。
開創は、明治10年の書上げによると承安2年(1172)とされ、開山は寺伝によれば龍観和尚(明応2年(1493)寂)と伝えられています。
山号の「泉涌」は、和泉の地名の由来ともなった貴船神社(和泉3-22)の泉に、院号の「医王」は、本尊の薬師如来に因むものといわれています。また寺号の「龍光」は、当寺のすぐ下を流れる神田川の源、井之頭池にすんでいた巨大な竜が、川を下ってきて、この付近で雷鳴をとどろかせ、光を放って昇天したことに由来すると伝えられています。
江戸時代、当寺の本尊は難病に御利益がある薬師如来として信仰あつく、護摩の煙が絶えなかったといわれています。戦時中の供出で今はなくなってしまった寛保2年(1742)銘の梵鐘にも、「医王之宝殿」「衆病悉除抜苦」と記されていました。なお現在の梵鐘は、昭和29年に造られたもので、区内では最も大きいものです。
当寺に伝わる文化財としては、室町期に作られたといわれる興教大師像、文明2年(1470)銘・明応5年(1496)銘の板碑のほか、江戸時代の庚申塔・供養塔など多数が所蔵されています。
また、当寺は明治初年に廃寺となった慈冠山日照寺を合併しています。
入ると右手に大師堂✨
階段を上ります✨
山門✨
大きな大師燈籠✨
鐘楼堂✨
本堂✨
新四国八十八ヶ所和泉霊場✨休日は門が開いています😊
苔生していて気持ちがいい😊
弘法大師像✨
観音堂✨
神社側への出入り口✨
御朱印はありませんでした😊
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