真言宗豊山派萬徳山
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東京都墨田区に位置する弥勒寺(みろくじ)は、真言宗豊山派に属する寺院で、万徳山聖宝院と号しています。慶長15年(1610年)に僧宥鑁によって小石川鷹匠町に創建され、その後元禄2年(1689年)に本所に移転しました。寺領は100石の朱印状を受けており、江戸時代には新義真言宗関東四ヶ寺の一つとして大きな格を誇る寺院でした。
●本尊とその由来
弥勒寺の本尊は薬師如来像で、徳川光圀から寄進されたものとして知られています。この像はもともと常陸国(水戸藩)の寺院にあり、光圀がその寺の土地を没収した際、薬師像を川に投棄しました。しかし、像は川上に流れたため「川上薬師」と呼ばれるようになり、江戸十三薬師の一つとして多くの信仰を集めました。
●境内の文化財と著名な人物
弥勒寺の境内には、杉山流鍼術の創始者である杉山和一の墓があります。彼は視力を失った後も努力を重ね、江戸幕府の将軍・徳川綱吉の病を治療し、信頼を得ました。和一は1694年に亡くなり、弥勒寺と江の島に埋葬されています。彼の墓は東京都指定旧跡にも指定されています。
また、弥勒寺には戦災殉難慰霊観音像があり、太平洋戦争の犠牲者を慰霊するために建立されました。この像には、近隣で亡くなった3500柱の遺骨が納められています。
弥勒寺は墨田区立川にある真言宗 豊山派の寺院で萬徳山聖宝院と号します。本尊を薬師如来。慶長15年(1610年)に宥鑁が小石川に創建、その後元禄2年(1689年)に本所に移転。ご本尊の薬師如来像は徳川光圀の寄進ということです。杉山総検校は江戸時代の鍼医で五代将軍綱吉の病を治して将軍から賞されているそうです。御府内八十八ヶ所霊場46札所。
亀戸駅から両国駅で大江戸線に乗換えて森下駅で降りて、構内を含めて徒歩10分程の場所にあります。
御朱印は寺務所にていただけます。
山門
杉山総検校墓所石標柱
観音聖像
観音聖像と案内板
杉山総検校
江戸時代の鍼医で五代将軍綱吉の病を治して将軍から賞されたそうです。
杉山和一墓所、医療用針の供養塔
本堂
筆塚
御朱印
名称 | 弥勒寺 |
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通称 | 川上薬師如来 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3632-3692 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
御府内八十八箇所 第46番 | 御本尊:薬師如来 御詠歌: 極楽の浄瑠璃世界たくらえば 受くる苦楽は報いならまし |
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詳細情報
山号 | 萬徳山 |
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院号 | 聖宝院 |
宗旨・宗派 | 真言宗豊山派 |
創建時代 | 慶長15年(1610) |
開山・開基 | 宥鑁 |
文化財 | ・杉山検校(和一)墓(東京都指定旧跡) |
ご由緒 | 慶長15年(1610)僧宥鑁が小石川鷹匠町に創建。幾度か移転し、元禄2年(1689)に現在地へ。、元禄2年(1689)本所に移転したといいます。寺領100石の朱印状を拝領し、真言宗関東四ヶ寺の一つとして触頭を勤めた大寺でした。本尊は僧行基の作と伝えられる薬師如来で、水戸藩主・徳川光圀が川中に投棄した際に川上に向って流れたことから、水戸光圀の信仰を受け「川上薬師」と呼ばれていたといいます。この薬師如来像がどういう経緯で弥勤寺に来たのかは明らかではありませんが、江戸十二薬師の一つとして多くの参けい者を集めていました。弥勅寺の塔頭として法樹院・徳上院・正福院・宝珠院・正覚院・龍光院があったが、今は、寺院として法樹院・徳上院・龍光院が残るのみです。 |
体験 | 有名人のお墓札所・七福神巡り |
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