こんぞうじ|天台宗|西岩倉山
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約一年ぶりの金蔵寺。昨年は11月頭に伺い、境内緑一色だったので今回はXで確認してからお参り。大原の方面から長峰に出てそこからプチハイキング開始。涼しくなってきたとはいえやはり坂を登っていくと汗だくに🥵途中の一言不動までたどり着いたときはちょっと感動😄そして山門・・・からの景色はあら・・・緑😱しかも山門到着と同時に雨😭本堂までの階段を登っていくと徐々に紅く染まってきた楓が見えてきました😍開山堂や愛宕大権現本殿周りとかはまだ緑が多かったのでそろそろ見頃になってきてるかなぁ・・・
一言不動尊
山門からの階段
本堂
愛宕大権現鳥居
愛宕大権現由緒
開山堂
愛宕大権現本殿
休憩所の招き猫
山門
(京都洛西三十三観音2番札所)
善峯寺より三鈷寺に行こうと道に迷い、先に金蔵寺に辿り着きました。
山深いところにある古刹です。
718年、女帝・元正天皇の勅により開創で、794年、桓武天皇が経典が埋蔵されたため、西岩倉山の山号を贈られたといいます。西山の名古刹として栄え、堂塔、伽藍など一時は49院が建ち並ぶ大寺でありました。
応仁の乱などの兵乱により焼失しましたが、現在の建物が将軍・徳川綱吉の母・桂昌院により再建されました。
また、愛宕大権現は、かつて愛宕山の勝軍地蔵が遷されたもので、甲冑姿で騎乗し、右手に剣を立て、左手に幡を掲げたお姿です。武士には勝軍、庶民には火伏せの信仰を得、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈で愛宕神社よりこの地に移されました。
明智光秀は、本能寺に攻め入る前に地蔵に祈願したといいます。
お参りした時は、読経の声が本堂に響き、ありがたい思いでした。山深いこともあり、一面の苔で、これもまた趣きがありました。青紅葉が綺麗でしたが、紅葉の時期だともっと素晴らしいのでしょう。
駐車場にひっそりと「陸軍少佐堀越明戦死之碑」があり、ご住職に伺うと、終戦間際の本土空襲を防ぐために敵機と戦って墜落戦死された堀越明少佐の慰霊碑とのこと。胸が詰まる思いします。
御朱印 京都洛西三十三観音2番
金蔵寺参道石標
元愛宕大権現石標
山門
金剛力士像(阿形)
金剛力士像(吽形)
山門よりの石段
護摩堂
弁財天社
本堂への石段
本堂
本堂横から
本堂扁額
愛宕大権現鳥居
勝軍地蔵について
修行大師像
宝篋印塔
三社
葉山神社
開山堂
書院
鐘楼
陸軍少佐堀越明戦死之碑
碑横から
歴史
金蔵寺は、奈良時代初期の養老二年(718年)隆豊禅師によって開創された寺院で、平安京造営の際に、新都の平安を祈念して経文が納められたことから、西の岩倉とも呼ばれています。応仁の乱以前には、寺中に堂塔伽藍四十九院の僧坊を擁する大寺であったことが、室町時代中期の日記『臥雲日件録抜婾尤』という文書に記されていますが、応仁の乱および永禄の兵火によってほとんどの建物が焼失し、大部分が江戸時代に再建されたものとなっています。
名称 | 金蔵寺 |
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読み方 | こんぞうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-331-0023 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
巡礼の詳細情報
京都洛西観音霊場 第2番 | 御本尊:十一面千手観世音 |
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詳細情報
ご本尊 | 十一面千手観世音 |
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山号 | 西岩倉山 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 718年(養老2年) |
開山・開基 | 隆豊禅師 |
ご由緒 | 金蔵寺は、奈良時代初期の養老二年(718年)隆豊禅師によって開創された寺院で、平安京造営の際に、新都の平安を祈念して経文が納められたことから、西の岩倉とも呼ばれています。応仁の乱以前には、寺中に堂塔伽藍四十九院の僧坊を擁する大寺であったことが、室町時代中期の日記『臥雲日件録抜婾尤』という文書に記されていますが、応仁の乱および永禄の兵火によってほとんどの建物が焼失し、大部分が江戸時代に再建されたものとなっています。 |
体験 | 御朱印有名人のお墓札所・七福神巡り |
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