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せんぞういん|真言宗豊山派金峯山

泉藏院
埼玉県 金子駅

歴史

本院の創立年号は記録が乏しく詳細はわかりませんが、伝説によると第82代後鳥羽天皇の建久年間(皇紀1852年)、鎌倉幕府創始時代にして建久3年、源頼朝公が征夷大将軍となった前後の頃、村人みんなで堂宇を建設し不動明王の像を安置したといいます。(現在本院の御本尊)

信徒は群集し鎌倉幕府より堂領として若干の地を寄進されたといいます。そしてその後89年を経て将軍北条時宗の時、元寇の乱がありました。室町幕府の足利義持の時金閣寺の創立、その後、足利義政の時応仁の乱があり、足利義尚将軍の時銀閣寺の設立がありました。本院創立後、実にこれらの歴史想い起こすと、如何に古く由緒深いかを知ることができます。
さらに、第110代後光明天皇の時代、時の江戸幕府徳川三代将軍家光公より御朱印文を拝領しました。、これは、古来堂領の地であることを証明する確固たるものであります。大献院朱印の文によると「武蔵國入間郡峯村泉蔵院不動堂領同所之内拾二石事任先規寄附之事全可収納並寺中門前山林竹木諸役等免除如有来永不可有相違者也 慶安二年八月二十四日」とあります。
なお、当院創立後、建武中興時代吉野朝時代を経て、第105代後奈良天皇の天文年間(皇紀2203年)室町幕府の足利義晴将軍の時、時の法僧「秀尊上人」が不動堂を改修して本堂と為し、庫裡を増築して泉蔵院と改め一寺に列せられました。この前後においては天文12年ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えたといいます。
その後天和2年第111代霊元天皇の御代(皇紀2341年)江戸幕府五代将軍徳川綱吉公の時代に、智積住持比丘僧正泊如運敞法印の書いた過去帳があります。これらによっても歴史が古いことを知ることができます。
その後第113代東山天皇の元禄年間(皇紀2348年)、当院15世の僧「智真」が武蔵国塩舩村塩舩寺宜海法師に従い報恩院良淳僧正の法流を汲み末寺となりました。
第118代後桃園天皇の御代(皇紀2432年)第10代将軍徳川家治の安永8年11月、当院檀徒より永代納付物の記録を残しています。
更に第119代光格天皇の寛政年間(皇紀2452年)第11代将軍徳川家斉の時、「敞海」という僧が雷電神王略縁記を印刻し広く参詣者に頒布し当郷の守護神であることを示し、雷電神王の祭詞を毎年2月20日に行うと明記しています。
当院住職は第121代孝明天皇の文久2年徳川14代将軍家茂の時、法印永興に至る迄、実に法流23世連綿しましたがその後は無住となり現在に至ります。
(昭和21年8月18日)

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名称泉藏院
読み方せんぞういん
電話番号04-2922-1587(連)
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詳細情報

ご本尊不動明王像
山号金峯山
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天文年間(1532~1555)
開山・開基秀尊上人
ご由緒

本院の創立年号は記録が乏しく詳細はわかりませんが、伝説によると第82代後鳥羽天皇の建久年間(皇紀1852年)、鎌倉幕府創始時代にして建久3年、源頼朝公が征夷大将軍となった前後の頃、村人みんなで堂宇を建設し不動明王の像を安置したといいます。(現在本院の御本尊)

信徒は群集し鎌倉幕府より堂領として若干の地を寄進されたといいます。そしてその後89年を経て将軍北条時宗の時、元寇の乱がありました。室町幕府の足利義持の時金閣寺の創立、その後、足利義政の時応仁の乱があり、足利義尚将軍の時銀閣寺の設立がありました。本院創立後、実にこれらの歴史想い起こすと、如何に古く由緒深いかを知ることができます。
さらに、第110代後光明天皇の時代、時の江戸幕府徳川三代将軍家光公より御朱印文を拝領しました。、これは、古来堂領の地であることを証明する確固たるものであります。大献院朱印の文によると「武蔵國入間郡峯村泉蔵院不動堂領同所之内拾二石事任先規寄附之事全可収納並寺中門前山林竹木諸役等免除如有来永不可有相違者也 慶安二年八月二十四日」とあります。
なお、当院創立後、建武中興時代吉野朝時代を経て、第105代後奈良天皇の天文年間(皇紀2203年)室町幕府の足利義晴将軍の時、時の法僧「秀尊上人」が不動堂を改修して本堂と為し、庫裡を増築して泉蔵院と改め一寺に列せられました。この前後においては天文12年ポルトガル人が種子島に漂着し鉄砲を伝えたといいます。
その後天和2年第111代霊元天皇の御代(皇紀2341年)江戸幕府五代将軍徳川綱吉公の時代に、智積住持比丘僧正泊如運敞法印の書いた過去帳があります。これらによっても歴史が古いことを知ることができます。
その後第113代東山天皇の元禄年間(皇紀2348年)、当院15世の僧「智真」が武蔵国塩舩村塩舩寺宜海法師に従い報恩院良淳僧正の法流を汲み末寺となりました。
第118代後桃園天皇の御代(皇紀2432年)第10代将軍徳川家治の安永8年11月、当院檀徒より永代納付物の記録を残しています。
更に第119代光格天皇の寛政年間(皇紀2452年)第11代将軍徳川家斉の時、「敞海」という僧が雷電神王略縁記を印刻し広く参詣者に頒布し当郷の守護神であることを示し、雷電神王の祭詞を毎年2月20日に行うと明記しています。
当院住職は第121代孝明天皇の文久2年徳川14代将軍家茂の時、法印永興に至る迄、実に法流23世連綿しましたがその後は無住となり現在に至ります。
(昭和21年8月18日)

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