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【合祀を拒んだ石打の神々】番外編
社氏稲荷神社で、邑楽町石打地区の既知の神社は全て詣でました⛩️🙏
ではお寺はどうか?と調べてみたのですが、石打ではあまり仏教は流行らなかったのか、それともこぶ観音明言寺の威光が強すぎるのか、明言寺の他には端の方にある邑楽七福神の慶徳寺があるだけで、単独御堂すら見つからない💫
・・・そういえば、田舎にはだいたいある路傍のお地蔵さんや馬頭様、庚申塔なども全く見当たらなかったな💧 これも石打の信仰の特殊性😳❓️
そんな中、唯一見つかったのが八王子神社の近くのこの小さな無住寺で、ここを石打巡拝の〆とすることにしました。
ここは、南北朝~戦国時代に松本古墳群の中にあった石打城の守り寺として建てられたそうで、だいたいの創建年代と由緒はわかっているのですが、本尊がわからない😖💫
由緒にも一応載せましたが、おうらの広報に光明寺の本尊に関する話が出てきて一瞬おおっ💡😆と思ったのですが、これが読み進めていくうちになぜか内容が社氏稲荷神社の本尊の話にすり変わってしまっている。。。( °д°)ポカーン
まぁ、どうもこれは古老の聞き語りをそのまま載せたものらしいので👴💧・・・仕方ないね😅w
石打城の話に出てくる貝吹山や首塚も、名前だけは出てくるものの、具体的にどの古墳に相当するかは書かれておらず。
貝吹山は「一番高い山」となってるので、たぶん城の物見になってた松本3号墳こと八王子神社ではないかと⛰️⛩️
首塚は不明・・・まぁこちらは知らない方が良いのかもしれんけど👻💀😰w

石打城の地図
光明寺は城の東端付近にあったらしい

お寺の境内よりかなり南側で、古い参道入口を偶然見つける💡
参道を通って行こうかと思いましたが、現在では民家の庭先を掠めてるので、左の車道から行くことにしました😅

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