うんりゅうじ|曹洞宗|瑞光山
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
雲龍寺について
田中正造の六つの分骨地の一つ。
足尾銅山鉱毒事件で、田中正造が公害闘争の拠点としたお寺。
鉱業停止請願事務所や足尾鉱毒被害者救済施療所「救現堂」が置かれた。
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せっかく椿田稲荷に来たので、すぐ近くにある田中正造翁の分骨地の一つである雲龍寺に再訪してみることにしました。
真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし
能登半島地震とか昨年からの熊害などを見るにつけ、本当に人間は自然に対して無力だな・・・と、最近しみじみと思います。
まぁ人の力ではどうにもならない地震はともかく、熊害に関しては、再生可能エネルギー・脱原発なんつって山にメガソーラー作りまくった反動なんて説もあるみたいですし、現地の人の被害ガン無視で絶体安全な場所から「可哀想だから殺すな!」とか抗議電話掛けまくる輩もいたり・・・
・・・まぁ普段はそこまでエコ寄りの人間でもないのですが(^^; たまには自然との共存と文明の行く末について正造翁の霊と語らうのもいいかと。
一応龍の字も入ったお寺ですし、辰年的にも良いかなとw
このお寺は過去に受印済みなので今日は参拝のみで受印はしないつもりだったのですが、以前はなかった正造翁の救現堂の御朱印も増えてたので思わず受印(^^;
まぁ最近、朱印料を軒並み500円に値上げした寺社が多いなか300円据え置きだったのでこれならいいかなとw
田中正造に纏わる他の寺社もほぼ全て周りましたが、正造翁そのものの御朱印はこれが初めてだったし、
この救現堂は正造が亡くなる13日前に「現在を救いたまえ」と祈ったことに由来するそうで、世間的にも個人的にも何か妙に象徴的だな(゜゜;)と・・・
若きご住職に聞いたところ、この御朱印を始めたキッカケというのが、正造百十回忌法要の準備で救現堂内を整理していたところ、今まで存在を知られていなかったこの印が出てきたためとのこと・・・
何やら100年経っても「真の文明」を築けぬ人類を憂いて正造翁が警鐘を鳴らしに戻ってきてくれたような不思議な話ですね(・・;)
受印はしないつもりでしたが、以前はなかった田中正造翁の御朱印ができており、これはいただかねばと・・・(^^;
ここのお坊さん、非常な達筆でもありますしね♪
山門
山門入ってすぐ左に薬師堂
堂内の薬師如来像
足尾鉱毒事件の活躍有志の慰霊碑
まずは正造翁を祀った救現堂を拝みます
田中正造の分骨墓
正造を神(仏?)として祀る救現堂
この貼り紙を見て色めきたつ!
これは受印しよう(*°∀°)=3
目の前は正造翁が生涯戦い続けた渡良瀬川の土手
水子・子育ての奉納地蔵
水子地蔵尊
慈母観音
本堂
百年前にここで田中正造が演説したり、東京大挙押出しで数千人の農民が集結したりしたと考えると胸熱
館林市発行の足尾鉱毒事件の資料もいただきました
六つの分骨地のうち、加須市の田中霊場だけがまだ未参拝
今日は故郷佐野を南から北に縦断しようと思い、まずはまだホトカミにレビューのない椿田稲荷神社に行こうと思いました。
・・・しかしどうしても辿り着けない。
隣に中古車屋みたいのができてて、裏には川が流れてて、入れそうなところが見つからず(´・ω・`)
そういえばすぐ近くに田中正造ゆかりのお寺もあったなとこちらに目的地変更。
なぜかこの辺りだけ渡良瀬川の北側に館林市がちょっと飛び出してるのでここはグンマー。
若い住職様が非常に達筆な御朱印を書いてくださいました。
住職様にお話しを伺ったところ、横にある赤い権現堂に田中正造翁の座像が祭られており、その前にある宝塔が五つに分骨されたお墓の一つだそうです。
9月に佐野厄除け大師こと惣宗寺で法要を行い、月遅れの10月にこちらで法要を行っているとのことでした。
名称 | 雲龍寺 |
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読み方 | うんりゅうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0276-73-4163 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 《本尊》釈迦如来 《救現堂》田中正造 《薬師堂》薬師如来 |
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山号 | 瑞光山 |
宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
創建時代 | 天文22年(1553年) |
開山・開基 | 早川田氏家臣 |
文化財 | 田中正造の墓・救現堂(足尾鉱毒被害者救済施療所)(館林市史跡) |
ご由緒 | 天文22年(1553年)「第二次国府台の戦い」で北条氏康に従い里見義堯勢と戦い討死した、当地の領主 早川田唯種(さかわだゆいたね)の冥福を祈るため、家臣により曹洞宗の寺院として創建された。
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体験 | 御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
Wikipediaからの引用
概要 | 雲龍寺(うんりゅうじ)は、群馬県館林市下早川田町にある曹洞宗の寺院。足尾鉱毒事件で公害闘争の先駆者となった田中正造が闘争の拠点とした地で、1896年の大洪水を契機に鉱業停止請願事務所が設けられた。 |
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歴史 | 歴史[編集] 朱門 田中正造の墓 救現堂 天文22年(1553年)に早川田氏家臣により、曹洞宗の寺院として創建された。明治29年(1896年)10月、田中正造は渡良瀬川左岸の位置している当寺に栃木群馬両県鉱毒事務所を設けた。さらに足尾銅山鉱業停止請願事務所として栃木、群馬、埼玉、茨城の4県鉱毒被害民の闘争本部となった。また、三つ作られた足尾鉱毒被害者救済施療所「救現堂」の一つが当寺にも設けられた[1]。明治33年(1900年)2月、鉱毒被害民はここに集結し請願のため上京する途中、利根川を渡ろうとして川俣村(現明和町)で弾圧された(→川俣事件)。 大正2年(1913年)夏、田中正造は当寺に...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] 東武佐野線渡瀬駅または東武佐野線田島駅より徒歩約30分 東北自動車道佐野藤岡インターチェンジより車で約20分(渡良瀬大橋北詰) |
引用元情報 | 「雲龍寺 (館林市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%9B%B2%E9%BE%8D%E5%AF%BA%20%28%E9%A4%A8%E6%9E%97%E5%B8%82%29&oldid=102440023 |
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