きくれんじ|浄土宗|舎利山
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御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 県道沿いに8台分 寺院前に16台分 |
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集中曝涼 2か所目
菊蓮寺様で本堂・庫裡で本尊様や地獄絵図のほか県文化財の千手観音木像・不動明王立像・多門天立像など茨城大学の学生さんによる解説付きで拝見することができました。
御朱印もご住職様に書いていただき、参拝帰りには地元の方から手作りこんにゃくやキウイフルーツを頂いてしまいました。
集中曝涼は文化財を直に見たり、撮影させていただけたりととても貴重な体験をすることができました。
807年行讃上人が開山された、蓮華の上に舎利があり、菊の花が咲いている霊夢をみた事から『菊蓮寺』と名付けたそうです。なんて綺麗な名前・・
寺名だけでなく、お寺全体が綺麗でした。
残念ながらお留守のようで御朱印は頂けませんでした。
亡き人の供養のために心を込めて、つきました。
鐘の響きが無くなるまで、じっと聞いていると、とても落ち着く感じがしました。
山門
六地蔵様
源頼朝との戦い、金砂の戦いで焼失した千手観音像を復元し、今に残るそうです。
本堂
平成29年の集中曝涼の際に参詣しました。
こちらの観音堂に安置された千手観音菩薩立像は、鎌倉時代に作られたそうです。
高さが3m50cmあり木製立像では茨城県で2番目の高になります。
写真では伝わりづらいですが圧倒的な存在感です。
舎利山 三光院 菊蓮寺
「南無千手観世音菩薩
南無阿弥陀佛」
千手観世音菩薩立像
歴史
菊蓮寺は大同2年(807)行讃上人(天台宗)が開山、口伝によると権現の霊夢を受け蓮華の上に舎利しゃりがあり菊花が咲き乱れ、そこから三種夫々が霊光を放つのを見てその場所に一寺を建立、舎利山三光院菊蓮寺と銘々金砂権現として鎮守した 、一時廃寺となり寛正6年(1465)覚誉冏察かくよけいさつ 上人が中興ちゅうこう 浄土宗に改宗され天台宗より数えて八十九代現在に至る。
1657年に火災にあい寺宝等焼けてしまい ましたが、現在も茨城県の重要文化財に指定、木造毘沙門天立像、木造千手観音立像、木造不動明王立像、木造 女神像を所有しております。
名称 | 菊蓮寺 |
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読み方 | きくれんじ |
参拝にかかる時間 | 15分ほど |
参拝料 | なし |
トイレ | 庫裏にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0294-76-9244 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://kikurenji.konjiki.jp/ |
SNS |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
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山号 | 舎利山 |
院号 | 三光院 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 大同2年(807) |
開山・開基 | 行讃上人 |
文化財 | 千手観音菩薩立像 (県指定文化財)
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ご由緒 |
菊蓮寺は大同2年(807)行讃上人(天台宗)が開山、口伝によると権現の霊夢を受け蓮華の上に舎利しゃりがあり菊花が咲き乱れ、そこから三種夫々が霊光を放つのを見てその場所に一寺を建立、舎利山三光院菊蓮寺と銘々金砂権現として鎮守した 、一時廃寺となり寛正6年(1465)覚誉冏察かくよけいさつ 上人が中興ちゅうこう 浄土宗に改宗され天台宗より数えて八十九代現在に至る。
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体験 | 御朱印重要文化財 |
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