けんしょうじ|真言宗智山派|天光山
賢沼寺(沼ノ内弁財天)福島県 草野駅
10:00〜16:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 有(40台) |
807年(大同2年)に徳一によって建てられた弁財天を祀る堂に始まると伝えられる。
江戸時代は磐城平藩の庇護を受け、本堂や山門などが改修された。
山門の彫刻は左甚五郎の作とされる彫り物が残されている。
東照宮の建設と同時期の建築と考えられている。
風光明媚で、広い沼には鯉や亀など、豊富な生き物がおり、餌をあげて楽しめます。
沼の前の授与所で、新しいご住職が気さくに御朱印の対応をして下さいました。
天気の良い日に、のんびり参拝。
御朱印は複数あり、この日に縁日だった弁財天を拝受。
新しい印だそうです。
駐車場からの参道入口。
最初に存在感のある楼門が見え、その手前には味のある古い狛犬さんが。
楼門などの木彫がすごいです。
少し彩色が残っている一匹を発見。
楼門内の仏像は、本によると「風の三郎(風神)」と、「雷の五郎(雷神)」だそうです。
それぞれ、どっちなのかは(?)。
ウナギ生息地の由緒書。
大きな鯉や亀のほか、ウナギもたまに見られるそうです。
賢沼という大ウナギが生息する沼を見下ろすように、本堂があります。
沼のほとりには沼ノ内弁財天がお祀りされており、歴史を感じる楼門も健在です。
「かしこぬま」と読むそうで、じゃ、お寺の名前は「かしこぬまじ」と勝手に思っていましたが、真っ当な読み方は「けんしょうじ」でした。
参道を歩いていくと、突き当たりが賢沼。楼門が見えます。
左手が本堂への階段です。先に本堂をお参りしてから沼の方にいってみましょう。
本堂と鐘楼
本堂。震災から復興していました。
本堂の右から賢沼に下りられます。
本堂にあった無料の鯉の餌を頂いて向かいます。
途中の太い立派な木。枝を切り落としてます。
邪魔なんでしょうね。
沼ノ内弁財天の楼門
飾りがオシャレ。
狛犬が独特。足が細い。
門の中の仁王様、、風神?
弁財天がお祀りされています。
彫刻は手が込んでいる。
魚見台もあります。
ゆったりとした時間がもてました。
大ウナギは見つからなかった。
鴨と鯉と亀がいて、無料の餌を競って食べてくれました。
【 建立と移転 】
弁財天を祀る堂が807年(大同2年)に徳一大師によって建てられ、海東小太郎清衡の開基によるものであると伝えられます。
その後、永享3年(1430年)に光蔵律師という奈良興福寺法相宗の僧侶によって現在の場所に移されました。
【 楼門の建築と特徴 】
楼門は市の有形文化財であり、賢沼寺(密蔵院)の境内に位置する弁財天の山門です。
延享4年(1747年)に、内藤備後守政樹の代に建築が始まり、翌年に完成しました。
建築は大工棟梁の平鎌田の杢七と、木挽きの甚三郎によって行われ、そのことが棟札に明記されています。
【 楼門の構造と装飾 】
この楼門は一戸楼門であり、以前は柿葺きでしたが、現在は銅板葺きになっています。
地方色豊かな技法が用いられており、建築様式は和様と禅宗様の折衷様式。
構造性よりも意匠的な面が重視され、技法も大胆に取り入れられています。
正面の両脇には、内藤備後守政樹の寄進による、風神「風の三郎」と雷神「雷の五郎」が配されています。
【 賢沼弁財天堂と賢沼 】
賢沼弁財天堂では「木像彩色八辟青龍辨財天像」が祀られており、この堂は別当として管理されています。
また、賢沼という場所は隣接しており、昭和14年(1939年)に文部省によって「天然記念物賢沼ウナギ生息地」として指定されています。
賢沼では天然の大ウナギが生息していると伝えられています。
住所 | 福島県いわき市平沼ノ内代ノ下104 |
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行き方 | 車:常磐自動車道いわき中央ICから車で約30分
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名称 | 賢沼寺(沼ノ内弁財天) |
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読み方 | けんしょうじ |
通称 | 沼ノ内弁財天 |
参拝時間 | 10:00〜16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0246-39-3424 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 大日如来 辨財天 |
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山号 | 天光山 |
院号 | 密藏院 |
宗旨・宗派 | 真言宗智山派 |
創建時代 | 807年(大同2年) |
開山・開基 | 徳一 |
文化財 | ・天然記念物賢沼ウナギ生息地(昭和14年/文部省)
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ご由緒 | 【 建立と移転 】
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
概要 | 賢沼寺(けんしょうじ)は、福島県いわき市にある真言宗智山派の寺院。院号は密蔵院。境内に弁財天を祀る堂があり、沼之内弁財天・賢沼弁財天とも称される。 |
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歴史 | 歴史[編集] この寺は、807年(大同2年)に徳一によって建てられた弁財天を祀る堂に始まると伝えられる。江戸時代は磐城平藩の庇護を受け、本堂や山門などが改修された。山門の彫刻は左甚五郎の作とされる彫り物が残されている。東照宮の建設と同時期の建築と考えられている。 |
引用元情報 | 「賢沼寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%B3%A2%E6%B2%BC%E5%AF%BA&oldid=89383154 |
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