じょうせむいじ ごじょういん(きよしこうじん)|天台宗
常施無畏寺 護浄院(清荒神)京都府 神宮丸太町駅
8:00~16:00
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楽しみ方
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場
護浄院 (清荒神) 洛陽三十三観音霊場

京都市上京区にあるお寺です。
南区と下京区のお参りしていなかった寺社のお参りをすませ 上京区に入りました。
あれだけ歩き回ったのに まだお参りしていない寺社がぎょーさんあること。
本当にびっくりさせられます。
こちらの護浄院は 京都御苑の東側にあり 日本初の清荒神で有名です。
いやぁこんな立派なお寺を見落としていたとは恥ずかしい。
節分会ののぼりがあったのをお見かけしてお参りしたしだいです。
宗旨は天台宗 ご本尊は清三宝大荒神 創建年は宝亀3年(772年) 開基は開成皇子です。古くて歴史のあるお寺でした。
境内は広く 寛政年間(1789年 - 1801年)に再建された荒神堂 洛陽三十三所観音霊場第3番札所の観音堂 地蔵堂 庫裏がありました。
荒神堂に大きな絵馬がかけられていたのですが 巳の頭がちびまる子ちゃんのおじいちゃん「友蔵さん」に似ていて笑ってしまいました。(ごめんなさい)
ネット情報です。
寺伝によれば 宝亀3年(772年)に光仁天皇の子の開成皇子が摂津国勝尾山で修行中に荒神が出現し 開成は自らその荒神を模刻するとその場に三宝荒神尊として堂宇を建て 祀ったのが始まりである。
明徳元年(1390年)に後小松天皇の命で乗厳律師が京都の高辻堀川の東に遷座する。
慶長5年(1600年)に後陽成天皇の命で現在地に遷座し 常施無畏寺(通称は常施寺)の名を賜っている。
元禄7年(1694年) 御所の浄域を護るということから東山天皇から護浄院の名を賜る。
天明8年(1778年)正月の天明の大火で焼失するが寛政年間(1789年 - 1801年)に再建する。
明治時代に入ると御所内や公家の邸宅で祀られていた仏像が多数ここに移された。
立派な山門
石柱
由緒書
三宝大荒神の号標
洛陽三十三所観音霊場 三番札所
境内の様子
手水舎
拝殿 清荒神の扁額が立派
本殿が少し見えます
本堂だと思います 観音堂
准胝観世音の扁額
不思議な松の木
延命地蔵菩薩 白顔が1体
ちびまる子ちゃんのおじいちゃんみたい
開基は宝亀2年(722)で、光仁天皇の皇子である開成皇子が仏門にはいられ、勝尾山で修行中三宝荒神尊を感得され自らその姿を模刻し、日本で最初の荒神尊としてお祀りされた。
慶長5年(1600)後陽成天皇により皇居守護のため現在地に移され、以後歴代天皇の篤い尊祟を受け、後東山天皇が御所の浄域を護ることから「護浄院」と命名され、現在も綿々と勅願所として国家の安寧・皇室安泰の祈願をし、皇室に御札を献上している。
| 名称 | 常施無畏寺 護浄院(清荒神) |
|---|---|
| 読み方 | じょうせむいじ ごじょういん(きよしこうじん) |
| 通称 | 荒神さん |
| 参拝時間 | 8:00~16:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-231-3683 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 絵馬 | あり |
| 洛陽三十三所観音霊場 |
|---|
| ご本尊 | 清三宝大荒神 |
|---|---|
| 院号 | 護浄院 |
| 宗旨・宗派 | 天台宗 |
| 創建時代 | 772年(宝亀3年) |
| 開山・開基 | 開成皇子 |
| ご由緒 | 開基は宝亀2年(722)で、光仁天皇の皇子である開成皇子が仏門にはいられ、勝尾山で修行中三宝荒神尊を感得され自らその姿を模刻し、日本で最初の荒神尊としてお祀りされた。
|
| ご利益 | 家内安全 |
| 体験 | 札所・七福神巡り |
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