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こうのみねじ|真言宗豊山派竹林山(ちくりんざん)

神峯寺
公式高知県 唐浜駅

檀家以外の参拝
檀家以外の参拝
あり
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御朱印について
御朱印
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御朱印帳
-
ありません
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あり

普通車30台

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八ヶ所第27番札所

おすすめの投稿

to_sun
2023年05月14日(日)
164投稿

【竹林山(ちくりんざん)地蔵院(じぞういん)神峯寺(こうのみねじ)】
本尊:十一面観世音菩薩
宗派:真言宗豊山派
開基:行基菩薩
 神峯寺の起源は古く、神功(じんぐう)皇后(在位201-269)が天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀った神社とされている。その後、730(天平2)年、第45代 聖武天皇(在位724〜749)の勅願により、行基菩薩が十一面観音像を本尊とし、その後弘法大師(774-835)が伽藍を建立した。当時は神仏合祀だったが、明治政府の神仏分離令で一時廃寺、明治中期にようやく再興されている。

神峯寺(高知県)

【27_T.Hamada's view】
 仁王門と鳥居

神峯寺(高知県)

【27_参道脇の花】
 真っ縦と呼ばれる石段は、春は桜、初夏はつつじ、秋は紅葉に美しく彩られる。山門横には鳥居が立つ、神仏集合の寺。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)

神峯寺(高知県)

【27_本堂】

神峯寺(高知県)

【27_大師堂】

神峯寺(高知県)

【27_仁王門】

神峯寺の像

【27_仁王阿形像】

神峯寺の像

【27_仁王吽形像】

神峯寺の像

【27_みちびき弘法大師】
 後方左が本堂、右が経堂。

神峯寺(高知県)

【27_神峯の水】
 鐘楼裏に湧く神峯の水は病気平穏に霊験あらたかといわれる。

神峯寺(高知県)

【27_神峯寺の庭園】
 美しい庭園を眺めながら石段を上って本堂へ。手すりの赤と整えられた緑のコントラストが美しい。

神峯寺(高知県)

【27_烏枢沙摩(うすさま)明王】
 この世のすべてを清め悪を食べつくす明王。特に厠(便所)を守護して下さるそうで、トイレのそばに祀られている。

神峯寺の御朱印
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かっこ
2021年12月11日(土)
463投稿

四国八十八ヶ所お遍路第27番札所、竹林山地蔵院神峯寺こうのみねじ。神功皇后が三韓征伐の戦勝祈願のため神々を祀ったのがはじまり。ご本尊は行基菩薩作十一面観世音菩薩。

神峯寺の山門

門の前から素敵。手入れが行き届いた綺麗なお庭でした。

神峯寺の山門
神峯寺の山門

やぁ👋

神峯寺の手水
神峯寺の手水

名水。

神峯寺の像
神峯寺の本殿
神峯寺の本殿
神峯寺の仏像
神峯寺の建物その他
神峯寺の建物その他

空海のお話。

神峯寺(高知県)
神峯寺の建物その他
神峯寺の建物その他
神峯寺(高知県)

たくさん歩いた後の一杯。はちみつゆずドリンク。

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神峯寺の基本情報

住所高知県安芸郡安田町唐浜2594
行き方

26番札所【金剛頂寺】より
(自家用車)約 1時間 約32km
(徒歩) 約 8時間 約30km

28番札所【大日寺】より
(自家用車)約 1時間 約38km
(徒歩) 約10時間 約38km

アクセスを詳しく見る
名称神峯寺
読み方こうのみねじ
参拝時間

7:00~17:00

参拝にかかる時間

約30分

トイレ駐車場と境内あり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0887-38-5495
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

第27番

御真言:

おん まか きゃろにきゃ そわか

御詠歌:

御仏の 恵みの心 神峯 山も誓いも 高き水音

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号竹林山(ちくりんざん)
院号地蔵院(じぞういん)
宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代天平2年(730)
開山・開基行基菩薩
ご由緒

神峯山中腹の標高450メートルに山門、境内が広がる。
幕末のころ、三菱財閥を築いた岩崎弥太郎の母が、息子の出世を祈願し往復20kmの道のりを21日間日参したという話は、いまも伝わっている。
縁起による歴史の古さは屈指で、神功皇后(在位201〜69)の世に勅命で天照大神などを祀る神社が起源とされる。聖武天皇(在位724〜49)の勅をうけた行基菩薩が天平2年に十一面観音像を彫造して本尊とし、神仏合祀を行った。その後、弘法大師が伽藍を建立し、「観音堂」と名付けたのが大同4年(809)のころとされている。
明治初期、新政府の神仏分離令により、天照大神などを祀る神峯神社だけが残り、本尊は二十六番金剛頂寺に預けて一時廃寺の悲運に遭った。明治中期に、もと僧坊の跡に堂舎を建立して本尊を帰還させ、霊場は復活した。だが寺格がないため、大正元年、茨城県稲敷郡朝日村の地蔵院を移して認可を得るなど、苦難の道を歩んで今日にいたっている。
昭和30年代、愛知県の水谷繁治さんの妻しづさんが「脊髄カリエス」で大学病院にも見放されたが、夫婦はこの峰で霊験を得て奇跡的に全治したという実例がある。

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