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圓明寺ではいただけません
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真言宗智山派須賀山(すがざん)

圓明寺
愛媛県 伊予和気駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

10台 大型3台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第53番

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月17日(土)
1899投稿

1泊2日四国八十八か所巡り。2日目の6寺院目です。
山から下りてきたら暑い暑い。町中の寺院です。
太山寺で知り合った方が 九州からバイクで巡られていて こちらでもご一緒だったのですが 「バイク暑いですよ」 はいお見掛けしていたら分かります。
エアコンないし 下から熱が上がってくるし。巡礼というより業ですね。
その方は般若心経を唱えられるので ここでお別れ。
本堂も大師堂も歴史を感じる古い建物で 内陣を見ても大満足。特に本堂の増長天と多聞天には見入ってしまいました。
古いだけでも素晴らしいのに 見事な彫りです。
境内に楼門(中門)があったのが少し驚きでした。他にもあったかな?なかったような。
本日3本目のドリンク補給して後にしました。

山号は須賀山 院号は正智院 宗旨宗派は真言宗智山派 ご本尊は阿弥陀如来 創建年は(伝)天平勝宝元年(749年) 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん
ご詠歌:来迎の弥陀の光の圓明寺 照りそふ影は夜な夜なの月
でした。

由緒については
寺伝によれば 天平勝宝元年(749年)聖武天皇の勅願を受けて行基が本尊阿弥陀如来 脇侍に観世音菩薩 勢至菩薩を刻んで開基した。
当初は現在地より北西約2.5 kmの和気浜の西山という海岸にあり 「海岸山圓明密寺」と称する七堂伽藍を備えた大寺であったという。
後に空海(弘法大師)がこの地を巡錫し荒廃した伽藍を整備したという。
鎌倉時代以降に幾度か兵火によって荒廃 元和年間(1615年 – 1624年)に現在地に移転。
寛永10年(1633年) 須賀専斎重久がその私財をもって再興したものという。
その功労により寛永13年(1636年)仁和寺の覚深法親王より須賀山の山号を賜り 仁和寺の直末とされる。
とありました。

圓明寺(愛媛県)

仁王門

圓明寺(愛媛県)

わりと古いです

圓明寺(愛媛県)
圓明寺(愛媛県)

大師堂

圓明寺(愛媛県)

内陣

圓明寺(愛媛県)

修行大師像

圓明寺(愛媛県)

手水

圓明寺(愛媛県)

楼門(中門)

圓明寺(愛媛県)

香炉

圓明寺(愛媛県)

子育地蔵菩薩

圓明寺(愛媛県)

閻魔大王像祠

圓明寺(愛媛県)

仏足石

圓明寺(愛媛県)

本堂

圓明寺(愛媛県)

扁額

圓明寺(愛媛県)

内陣

圓明寺(愛媛県)

鐘楼

圓明寺(愛媛県)

不動明王

圓明寺(愛媛県)

観音堂

圓明寺(愛媛県)

内陣

圓明寺(愛媛県)

弘法大師石像祠

圓明寺(愛媛県)

納経所

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圓明寺の基本情報

住所愛媛県松山市和気町1-182
行き方

伊予和気駅 下車 (0.3km)
52【太山寺】より
(自家用車)約10分 約2km
(徒歩)約35分 約2km
54【延命寺】より
(自家用車)約1時間 約38km
(徒歩)約8時間30分 約34.5km

アクセスを詳しく見る
名称圓明寺
参拝時間

7:00~17:00

トイレ本堂の左側
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号089-978-1129
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号須賀山(すがざん)
院号正智院(しょうちいん)
宗旨・宗派真言宗智山派
創建時代天平勝宝元年(749)
開山・開基行基菩薩
文化財

八脚門、厨子、木造阿弥陀三尊像のうち両脇侍立像(愛媛県指定有形文化財)
銅板の納札(松山市指定民俗文化財)

ご由緒

圓明寺には、アメリカ人巡礼者が発見した四国霊場最古の銅板納札が保存されている。
大正13年3月、シカゴ大学のスタール博士が四国遍路をしている途次、寺の本尊・阿弥陀如来像を安置している厨子に打ち付けてあったのを見つけた。江戸時代の初期にあたる慶安3年(1650)の銘があり、縦24cm、幅が9.7cm、厚さ約1mmで破損のない納札としては、現存最古で例のない銅板製である。
奉納者の樋口平人家次は、京都・五智山蓮華寺の伽藍を再興して、五智如来石仏を造立したことなどで知られるが、この納札でとくに注目されるのは、初めて「遍路」の文字が記されていることでもある。
縁起によると天平勝宝元年、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により、行基菩薩が本尊の阿弥陀如来像と脇侍の観世音菩薩像、勢至菩薩像を彫造して安置し、七堂伽藍を備えた大寺として建立したのが創建とされている。当時は、和気浜の西山という海岸にあり「海岸山・圓明密寺」と称したという。
のち、弘法大師が荒廃した諸堂を整備し、霊場の札所として再興したが、鎌倉時代に度重なる兵火で衰微、元和年間(1615〜24)に土地の豪族・須賀重久によって現在地に移された。さらに、寛永13年(1636)京都・御室の覚深法親王からの令旨により仁和寺の直末として再建され、寺号もそのとき現在のように改められている。 圓明寺はまた、聖母マリア像を浮き彫りにしたキリシタン灯籠があることでも知られる。

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