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どうりゅうじ|真言宗醍醐派桑多山(そうたざん)

道隆寺
公式香川県 多度津駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年10月22日(火)3133投稿

四国八十八所巡り吉願目指して日帰り旅。
吉願まで残すところわずか。日帰りで香川まで行きました。
金倉寺から海沿いに戻ってきました。海まで500mほどでしょうか。
仁王門をくぐると 眼なおし薬師さまとありました。
おぉぉ老眼治るかなぁ 篤く篤くお願いいたしました。
こちらもなで七福神巡りのお寺でした。寿老人でした。
全部巡れば良かった~と思ったら すべて八十八か所じゃないですか。はい巡りました。
境内は町中のお寺にも関わらず広く感じました。
本堂と大師堂 鐘楼に多宝塔もありました。
少し驚きだったのですが 日本全国百七十観音お砂ふみがありました。
本堂手前・左手・裏手に観音様がずらりと並んでいらっしゃるのです。
後で知ったのですが 鐘楼から裏手にまわると 境内社がありましたし 本堂横手にもお堂があったようなのです。
くわぁ~ 急いだあまりに見落としたぁぁぁぁ。
大失態です。また伺わなくてはなりません。

山号は桑多山(そうたざん) 院号は明王院(みょうおういん) 宗旨宗派は真言宗醍醐派 寺格は大本山 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)天平勝宝元年(749年) 開基は(伝)和気道隆です。

と真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:ねがいをば 仏道隆(ぶつどうりゅう)に入りはてて 菩提の月を見まくほしさに
でした。

由緒については
天平の頃この付近は桑園であった。
寺伝によれば 和銅5年 当地の領主である和気道隆が桑の大木が夜ごと怪しい光を放ったのでその方向に矢を射ると 矢が乳母に当たり誤って殺してしまった。
これを悲しんだ道隆は桑の大木を切り 薬師如来を刻んで堂に安置したのが起源であるという。
道隆の子の朝祐は 大同2年(807年)唐から帰朝した空海に頼み 90 cmほどの薬師如来を彫像し その胎内に道隆の像を納め本尊とし また 空海から受戒を受け第2世住職となって 七堂伽藍を建立し父の名から「道隆寺」と号した。
そして 第3世は空海の実弟の真雅僧正(法光大師)が継ぎ23坊を建立 第4世は円珍(智証大師)で五大明王を彫像し護摩堂を建立し 第5世の聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となり大いに栄えた。
とありました。
少し悲しい物語でした。

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歴史

仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養する。
大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。

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道隆寺の情報

住所香川県仲多度郡多度津町北鴨1-3-30
行き方

多度津駅より (1.2km)
76【金倉寺】より
(自家用車)約10分 約5km
(徒歩)約1時間 約3.9km
78【郷照寺】より
(自家用車)約15分 約8km
(徒歩)約1時間50分 約7.1km

道隆寺の基本情報

名称道隆寺
読み方どうりゅうじ
参拝時間

7:00~17:00

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0877-32-3577

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

七ヶ所まいり(しちかしょまいり・ななかしょまいり)

第7番

仏さま:薬師如来、寿老人

御詠歌:

うんぬんしきそわか

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号桑多山(そうたざん)
院号明王院(みょうおういん)
宗旨・宗派真言宗醍醐派
創建時代和銅5年(712)
開山・開基和気道隆
文化財

絹本著色星曼荼羅図(重要文化財)
絹本著色法華経曼荼羅図、絹本著色不動明王立像図、新続古今和歌集(写本)、森長見一族の墓および森長見の墓碑(多度津町指定有形文化財)

ご由緒

仁王門をくぐると、ブロンズの観音さんがずらりと並んで迎えてくれる。創建ころのこの付近一帯は広大な桑園で、絹の生産地であったようである。縁起によると、和銅5年、この地方の領主、和気道隆公が桑の大木を切り、小さな薬師如来像を彫造し、草堂を建てたのが寺の初めといわれる。道隆公は、周囲5メートル近い桑の大木が、夜ごと妖しい光を放っているのを見た。この光を怪しみ矢を射ると、女の悲鳴があり、乳母が倒れて死んでいた。嘆き悲しんだ道隆公は、その桑の木で仏像を彫り、草堂に安置して供養する。
大同2年(807)、道隆公の子・朝祐公は唐から帰朝した弘法大師に懇願し、弘法大師自ら90センチほどの薬師如来像を彫造、その胎内に父・道隆公の像を納めて本尊とした。
朝祐公は大師から授戒をうけて第2世住職となり、先祖伝来の財産を寺の造営にあてて七堂伽藍を建立、寺名は創建した父の名から「道隆寺」と号した。第3世は弘法大師の実弟にあたる真雅僧正(法光大師)が嗣ついで二十三坊を建立し、第四世の円珍(智証大師)は五大明王、聖観世音菩薩像を彫造して護摩堂を建立、次の第5世聖宝(理源大師)の代には「宝祚祈願所」となっている。高僧が相次いで寺勢は栄えたが、貞元年間(976〜78)の大地震による堂塔の倒壊や、康平3年(1060)の兵火、また「天正の兵火」に遭うなど興亡をくり返しながらも、法灯を守り続けている。

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