かくりんじ|高野山真言宗|霊鷲山(りゅうじゅざん)
鶴林寺徳島県 桑野駅
7:00~17:00
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
20番 鶴林寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 3日目の続きです。
20番札所のお寺です。
徳島県は国道55号線が背骨のように走っていますが 県道19号線に入り勝浦川沿いに走り さらに県道283号線を山の中へと入っていきます。
かつては23ヶ所ある阿波の霊場のうちでも 一に焼山(12番・焼山寺) 二にお鶴(20番・鶴林寺) 三に太龍(21番・太龍寺)といわれる難所のひとつでしたが 今では自動車道が開通して山麓から10分足らずで山門まで到達することができます。
昔の人は この道を歩いたのですよね。考えられません。
駐車場に車を停め しばらく山道を歩くと山門(仁王門)が見えてきます。
仁王門には鶴もいます。
仁王門をくぐり 山の中らしい境内に入ると お堂がたくさんあります。
護摩堂・不動明王堂・大師堂・本堂・三重塔どれも歴史を感じる建物です。
他にも六角地蔵堂・忠霊殿・鎮守堂・聖天堂と 見るところがたくさんあります。
西国三十三霊場のご本尊も見ることができました。
山奥のお寺だったことから 戦火を免れ 歴史的建造物が残っているということで 本当に素晴らしいものを見させていただきました。
山号は霊鷲山
院号は宝珠院
宗旨宗派は高野山真言宗
寺格は別格本山
ご本尊は地蔵菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん かかかびさんまえい そわか
ご詠歌:しげりつる鶴の林をしるべにて 大師ぞいます地蔵帝釈(たいしゃく)
でした。
由緒については
寺伝によれば 平安時代初めの延暦17年(798年) 桓武天皇(かんむてんのう)の勅願寺として開山という古刹。
寺の名は空海の修行時に雌雄の白鶴が本尊・地蔵菩薩の降臨を守護したことから霊鷲山鶴林寺(りょうじゅざんかくりんじ)と名付けられたと伝えられています。
山号は 付近の山容が 釈迦が説法されたインドの霊鷺山に似ているところから。
平安時代には平城天皇(へいぜいてんのう) 嵯峨天皇(さがてんのう) 淳和天皇(じゅんなてんのう)などの天皇家 そして中世には源頼朝 源義経 阿波国の大名・三好長治(みよしながはる) 徳島藩祖・蜂須賀家政らの武将たちの信仰が厚く 山中にあるがゆえに戦乱の兵火からも守られ 古色蒼然とした堂塔や寺宝が往時の姿をとどめています。
明治初年の廃仏毀釈の嵐を生き抜き 現在も塔頭7寺 末寺15寺を持つ大寺で 真言密教の道場としても有名です。
本尊・木造地蔵菩薩立像は国の重要文化財。
本堂右側にある三重塔は徳島県の有形文化財に指定されています。
とありました。
山道の先に山門(仁王門)
この仁王門の仁王様は運慶作とも伝わります
句碑
仁王門そのものは明治時代の建立だそうです
石柱
石碑
金剛力士 阿
金剛力士 吽 運慶作でしょうか 少し違うような気もします
鶴 阿
鶴 吽
六角地蔵堂
本堂に続く道
木陰が苔を茂らせます
忠霊殿
忠霊殿内陣
西国三十三霊場のご本尊
大師堂
納経所
不動明王堂
不動明王堂内陣
本堂に続く階段
本堂
本堂を守る鶴 阿
本堂を守る鶴 吽
本堂内陣
三重塔
三重塔
鎮守堂
鐘楼
修行大師像
ご本尊降臨の杉
聖天堂
住所 | 徳島県勝浦郡勝浦町生名鷲ヶ尾14 |
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行き方 | 19【立江寺】より
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名称 | 鶴林寺 |
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読み方 | かくりんじ |
通称 | お鶴さん |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
トイレ | 駐車場にあり |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0885-42-3020 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 地蔵菩薩 |
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山号 | 霊鷲山(りゅうじゅざん) |
院号 | 宝珠院(ほうじゅいん) |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 延暦17年(798) |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 木造地蔵菩薩立像(重要文化財)
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ご由緒 | 標高470メートルの鷲が尾の山頂にあり、遠く紀州や淡路の山峰、遙かに太平洋を眺望できる風光明媚な霊山が境内である。樹齢千年を超すような老杉、檜や松の巨木が参道を覆っており、寺門は静謐ながら隆盛の面影をしのばせる。寺伝によると延暦17年、桓武天皇(在位781・806)の勅願により、弘法大師によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを守護していた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90センチほどの地蔵菩薩像を彫造、その胎内に5.5センチぐらいの黄金の地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。 また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。以来、次の平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇と歴代天皇の帰依が篤く、また源頼朝や義経、三好長治、蜂須賀家政などの武将にも深く信仰されて、七堂伽藍の修築や寺領の寄進をうけるなど寺運は大きく栄えた。阿波一帯の寺が兵火に遭遇した「天正(1573・92)の兵火」にも、山頂の難所にあるためか難を免れている。「お鶴」「お鶴さん」などと親しまれ、山鳥が舞う大自然そのままの寺である。 |
体験 | 御朱印重要文化財札所・七福神巡り |
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