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おおうらてんしゅどう|カトリック教会

大浦天主堂
長崎県 石橋駅

午前8時30分〜午後6時

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高砂あさっぴー
高砂あさっぴー
2025年05月18日(日)1511投稿

長崎市南山手町にあるカトリック教会。
現存する日本最古のキリスト教建築。国宝であり世界遺産の長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成遺産。
神社仏閣ではないので追加するかどうか考えましたが同じ祈りの場であり日本が世界に誇れる歴史的遺産なのでここに書きます。
開国した幕末に外国人居留地のフランス人の為に建てられた事が始まり。当時の日本は布教による侵略や信徒が団結して一揆を起こすことを恐れ幕府がキリスト教に対する禁教令を出していました。献堂から約一ヶ月後に浦上村から十数人の村人がやっていてその一人である浜口ゆりがプティジャン神父に「われらのむね、あなたのむねと同じ。サンタマリア様の御像はどこ?」と訪ね自分達が隠れキリシタンであることを打ち明けました。200年以上もの間、禁教令の中で代々密かに教えを受け継いできた人々が日本にいる事にプティジャン神父は驚きこれがカトリック教会史としても類をみない「信徒発見」という出来事でした。
現在天主堂では通常のミサは行われておらず向かいのカトリック大浦教会で行われ天主堂は観光客向けに一般公開されています。ゴシック建築様式の天主堂は様式建築として初めて国宝に指定されており美しい白い外観と木のぬくもりが感じられる内装の建物です。現在も浦上村の隠れキリシタンの人々が見た信徒発見のマリア像を実際に見ることが出来ます。また天主堂には安土桃山時代のサン=フェリペ号事件で豊臣秀吉の命令で処刑された日本二十六聖人の油絵が飾られています。日本で初めての殉教者とされる二十六聖人は大浦天主堂の守護聖人であることから日本二十六聖殉教者聖堂という別名があります。
大浦天主堂の境内にはマリア観音や踏絵などの禁教令時代の資料が展示されているキリシタン博物館や観光客向けのお土産から信者さんの為のロザリオなどが販売されているオラショの店などありました。
私が拝観に来た時はフランシスコ前教皇がお亡くなりになったあとで御写真と共にお花が手向けられていました。
日本と長崎の隠れキリシタンの歴史を学ぶ事が出来て大変感動しました。

大浦天主堂の本殿・本堂

大浦天主堂

大浦天主堂の本殿・本堂

大浦天主堂

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歴史

日本が開国すると、長崎にも外国人居留地が形成され、外国人信徒のために大浦天主堂が建設されます。ローマ教皇は、開国する日本への再布教を目指して、パリ外国宣教会へとその使命を託していました。長崎にはフューレ神父、プティジャン神父らが派遣されました。
天主堂の完成後、浦上という地域の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に自分たちがキリシタンであることを告げました。潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会いは、お互いが待ち望んでいた大きな出来事でした。
潜伏キリシタンと神父の出会いが果たされた後、潜伏キリシタンたちは再び神父の指導を求めるようになりました。大浦天主堂には長崎各地から潜伏キリシタン共同体の代表者が訪れるようになり、いまだ禁教のなかで、密かな布教活動が開始されました。
そのような状況で、新たに教えを受けた信徒たちが自らの信仰を公にしはじめます。江戸幕府、そして明治政府もキリスト教の信仰を認めず、浦上や五島、木場(大村)の信徒たちが再び厳しい弾圧を受けました。
1873年、キリシタン禁制の高札が撤去され、実質的にキリスト教の信仰が認められるようになりました。プティジャン司教やド・ロ神父をはじめとする、多くのパリ外国宣教会の神父たちが布教と司牧に活躍し、信徒たちに慕われていたエピソードも残っています。
大浦天主堂の敷地には、日本人司祭を育てるための神学校が建設され、1875年に「長崎公教神学校」としてスタートしました。大浦天主堂は、長崎を中心に、日本のカトリック再布教を担う重要な拠点となっていきます。
(大浦天主堂公式HPから引用)

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大浦天主堂の情報

住所長崎県長崎市南山手町5−3
行き方

大浦天主堂の基本情報

名称大浦天主堂
読み方おおうらてんしゅどう
通称日本二十六聖殉教者聖堂・ふらんす寺
参拝時間

午前8時30分〜午後6時

参拝料

1000円

トイレキリシタン博物館1階
電話番号095-823-2628

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

ホームページhttps://oura-church.jp/

詳細情報

宗旨・宗派カトリック教会
創建時代1865年(慶応元年)
開山・開基ベルナール・プティジャン
本堂ゴシック建築様式
文化財

大浦天主堂(国宝・世界遺産)

ご由緒

日本が開国すると、長崎にも外国人居留地が形成され、外国人信徒のために大浦天主堂が建設されます。ローマ教皇は、開国する日本への再布教を目指して、パリ外国宣教会へとその使命を託していました。長崎にはフューレ神父、プティジャン神父らが派遣されました。
天主堂の完成後、浦上という地域の潜伏キリシタンたちが大浦天主堂を訪れ、プティジャン神父に自分たちがキリシタンであることを告げました。潜伏キリシタンとプティジャン神父の出会いは、お互いが待ち望んでいた大きな出来事でした。
潜伏キリシタンと神父の出会いが果たされた後、潜伏キリシタンたちは再び神父の指導を求めるようになりました。大浦天主堂には長崎各地から潜伏キリシタン共同体の代表者が訪れるようになり、いまだ禁教のなかで、密かな布教活動が開始されました。
そのような状況で、新たに教えを受けた信徒たちが自らの信仰を公にしはじめます。江戸幕府、そして明治政府もキリスト教の信仰を認めず、浦上や五島、木場(大村)の信徒たちが再び厳しい弾圧を受けました。
1873年、キリシタン禁制の高札が撤去され、実質的にキリスト教の信仰が認められるようになりました。プティジャン司教やド・ロ神父をはじめとする、多くのパリ外国宣教会の神父たちが布教と司牧に活躍し、信徒たちに慕われていたエピソードも残っています。
大浦天主堂の敷地には、日本人司祭を育てるための神学校が建設され、1875年に「長崎公教神学校」としてスタートしました。大浦天主堂は、長崎を中心に、日本のカトリック再布教を担う重要な拠点となっていきます。
(大浦天主堂公式HPから引用)

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