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ひぶせじぞうそん

火伏地蔵尊
栃木県 本中野駅

火伏地蔵尊について

屋敷を火事から救った火伏地蔵。
屋敷の主人が行者のお告げにより敷地内から掘り出し祀ったと伝えられる。

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くし
くし
2025年01月24日(金) 12時24分22秒
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旅の六法(行者)のお告げにより、とあるお屋敷の敷地内から掘り出されたという興味深い伝承を持つ火伏せのお地蔵様です🔥
しかもこれ、昔むか~しの言い伝えではなく地蔵が掘り出されたのが明治10年、お堂が建てられたのに至ってはなんと昭和40年代頃と近現代の話らしい⁉️😳

まぁ昭和初期くらいまでは霊術とかまだ盛んだったらしいし、月の裏側の念写とか、神水取り出しとか、千里眼など物理霊媒をガンガン起こせる霊能者が跋扈してた時代ですからね😱 そりゃ埋まってる地蔵を察知できる六法様くらいはいたでしょ🔍️🌟w
現代の、せいぜい憑依芸ができたり、スピ系ごたく並べたりするだけの霊能者などお話にもならない👻www
まぁ安直なスピ系やオカルトに走るのもイヤですが、こういう伝承を聞くと「現代でも神は死んでいない」みたいな感じもしてなんとなくホッとします💨

機織りサボったのがバレるのを恐れて放火してしまった十二歳の娘のエピソードなど、どこか現代のメンタルヘルス等にも通じる部分がありますね・・・くまぇり❓️🐻(違)

案内板に詳しく伝承が書かれてましたが、地元の方が採録されたものらしく、登場人物の続柄とかそこまではいいだろ💧みたいな情報まで事細かに掛かれてて書き起こすのにちょっと苦労しました😂✏️

火伏地蔵尊(栃木県)

火防に霊験あらたかなお地蔵さん🔥⛔
すぐ横に出火原因になりそうなシステムキッチンの看板が立ってるのが挑発的でさらにいい効果をもたらしてる👍www

火伏地蔵尊(栃木県)

かっこいい書体の扁額

火伏地蔵尊(栃木県)

堂前に砂岩質の大きな石が一つありましたが、特に碑文等は刻まれておらず何かは不明
風化した仏像かな❓️

火伏地蔵尊(栃木県)

堂内
伝承通り掘り出された地蔵や供養塔あり❗
ただ地蔵は一体だけではなく、観音像なども納められてる・・・

火伏地蔵尊(栃木県)

内部にかなり詳細な案内板あり
細かすぎて実物読めなかったのですが😖 幸い書き起こしてくれてるサイトがあり、そこから引用✏️

火伏地蔵尊(栃木県)

たぶん右の頭巾被ってる方が火伏地蔵尊かと思いますが、ひょっとしたらこれらの石仏全てが埋まってたのかもしれない💧

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名称

火伏地蔵尊

読み方

ひぶせじぞうそん

詳細情報

ご本尊《本尊》火伏地蔵菩薩
宗旨・宗派
創建時代

明治十年(1877年)頃

開山・開基

倉上平松

ご由緒

下野国梁田郡小曽根村字宮上第九拾八番屋敷内より掘り出されたお地蔵様で、何年位前に作られたものかはわからないが、来歴の伝説を申し述べてみたいと思います。
時は明治九年、屋敷所有者戸長倉上彦三郎氏の弟平松さん(嘉永五年十月九日生・当時二十五才)が分家に出た屋敷で、同年十二月吉日、杉浦政吉氏二女クラさんの婚儀のため平松氏は仲人として、上野の国邑楽郡篠塚村に出かけ一泊した。
儀式を無事終了して杉浦家に帰宅し、昼食をいただいているとき「火事だ!」と叫ぶ声が聞こえたので、飛び出してみると火の手は平松氏の家であった。
村の人達が駆けつけてくれた時は、機場が燃えただけで大火に至らず鎮火していたので、「これは不思議なこともあるものだ。」と、駆けつけた人達は驚いていたそうです。
出火の原因を調べたところ、十二歳になる娘に、留守中はた織を言いつけておいたところ、その二日間を遊んでしまい、父母が帰宅したあと、機を織らなかったことを知られ叱られると思い機ひに火をつけてしまったと話したそうです。
それから数日後、六法様(修行者)が訪れ「水をいただきたい。」と言って寄りこみ、水を飲みながら話しこんでいるうちに平松氏が「実は、私の家では火災にあいましたが、不思議なことに機場を焼いただけで火は消えてしまいました。」と話したところ、六法様は静かに座られ「この屋敷内には、火伏地蔵様が居られますね。」と言われたそうです。
平松氏は「心当たりがありません。」とお答えしたそうですが、六法様は、「いや、この屋敷内には必らずありますよ。」と言い残して、家をたって行かれたそうです。
それから平松氏は、毎日ひまをみつけては家のまわりの笹やぶや木の根を掘りおこしてお地蔵様をさがしたそうです。その翌年、ようやく地蔵と供養塔を掘り出して、屋敷の南西の角に九尺二間の茅葺き屋根のお堂を建ててまつりこみ、毎年十月にはお地蔵様を洗い表門前の皆様が供養とお祭りをしてくださっておりました。また四月には「桜祭り」と称して、念佛講の方々が念碑をあげておられました。
ところが、昭和十二年に志那事変が始まり、昭和十六年大東亜戦争へと進み。大国を相手にした第二次世界大戦へと戦争が拡大していきました。男子は軍隊に引き出され、女子も軍需工場に挺身隊として招集されるという中で、火伏地蔵尊のことは忘れられていきました。昭和二十年八月十五日に終戦にはなったものの食糧難の時代で、そのまま忘れられておりました。
戦後の経済復興が軌道にのり、暮らしも落ちついてきた昭和三十八年の頃から五・六年の間に表門前に相次いで火災が発生し、自然鎮火一戸・家族だけで消火したもの一戸・半焼一戸・全焼三戸という様に、貴重な財産を焼失してしまいました。
この頃、だれ言うとなく「表門前には、火伏地蔵さんがあるのだから、守護してもらえるように供養とお祭りをしてさしあげようではないか。」と言う意見が出されました。これに皆が賛同して、毎年十月、元のように祭りを実施することになりました。
お祭りを行っていくうちに、お堂の屋根の老朽化と傾きが激しくなってきたために、新築を協議し、昭和五十三年九月三十日完成、同年十月吉日を選び、盛大なる完成祝賀のお祝いを行い今日に至っています。
倉上屋敷門前においては火災もなく、火伏地蔵尊のご加護の賜物と一同感謝申しあげております。

体験仏像伝説
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