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苗代の多賀雄神社から移動中に鳥居が見えたので立ち寄って参拝しました。
国道375号線から県道336号線津江郷原線に入り黒瀬川を渡って少し進むと
左手に鳥居が見えます。
路肩があるので自家用車でも大丈夫です。
こじんまりとした社叢に覆われた小祠ですが由緒がはっきり残っているのは
素晴らしいことだと思います。
郷原町まちづくり推進委員会の郷原地区まちづくり計画より由緒を転載します。
『戦国時代,岩山城主が神社前一帯に黒瀬川を利用した堀のある約6町歩の
城主の館「土居」を築造し,工事安全と五穀豊穣を祈願するため,
長享元年(1487年)勧請したものという。当時は相当大きな神社として栄えたが,
岩山城落 城後は小社となり村差出帖には胡堂とあります。
祭神は恵比寿様の事代主命 ほか三神で,木造の一刀彫の神像で中世の頃の作。
戦前まで村管理の神社 であった。』とのことです。
併せて岩山城主に関しても抜粋転載します。
『その昔,南北朝時代に黒瀬村の領主の新居氏が頂上に山城を築いたと云われて
おり,戦国時代には大内氏の東西条防衛の重要な城でありましたが,天文23年
(1554年)最後の城主の岩見源之丞は毛利軍に攻められ岩山城は落城しました。』
境内には小祠のほか何もありません。本殿裏には掃除道具があったので例祭時
などには清掃されているものと思いますが、社殿の痛みが目立ちました。
瓦ぶきに改修したのがいつか不明ですが、瓦には丸に胡の紋があります。
この紋は調べても家紋や社紋に出てこないので正式な祭神の神紋ではないのでは
ないかと想像しました。
鳥居は一基です。昭和三年の建立。
鳥居の扁額
神社の説明・ご祭神など
ご由緒
注連柱。昭和十年建立。
本殿
本殿
本殿の瓦
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