ひろはたはちまんぐう
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駐車場 | 有り 砂利の駐車場。 かなりの台数入ります。 | ||
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御朱印 | - | ありません |
福岡県のおすすめ2選🍁
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今日二社目は廣旗八幡宮。
昨年桜🌸の季節に思いがけず訪れた廣旗八幡宮。
参道も長く境内も立派。社務所もありましたがその時は無人。 お正月🎍やお祭りの時には社務所開くかなと。 三ヶ日最終日の今日 空いておりました。 残念ながら御朱印はないそうです。
やはり義母は歩くのが辛く帰りは近くまで車を回しました。
こちらは妻と二人がかりの写真を🤳!
参道入り口
参道なかなか長いです。
参道
境内への階段。 義母はショートカット。
境内
境内
妻の写真
妻の写真
以前別の神社に行く途中、妻が助手席から『あっ 鳥居⛩!』と発見。 帰宅後Googleマップで確認。 今日探しお参りに行って参りました。
北九州市内はかなりの神社をお参りさせて頂きもうそろそろ出尽くした感のある中この時期にこのような貴重な神社がまだ未参拝で今日お参り出来たことを嬉しく思います。 ちょうど桜🌸が満開でGOODなタイミングで感謝です。 助手席の妻のお手柄😉
彫り物等凄いの一言。 たぶんこれぐらい凄いのははじめてかな😉
御祭神 十五柱 同座ニ柱
左座 天照大神 豊受大神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命
中央座 應神天皇 神功皇后 比売大神
右座 高皇産霊尊 神皇霊尊 大国主神 武甕槌神 経津主神 仁徳天皇 武内大臣
同座 白日別神 豊日別神
由緒
紀元前に楠橋立石の地に祠堂があり舟舫を立て参詣した。
740年 大野朝臣東人、聖武天皇の勅を奉じ、現楠橋東明ヶ森、宮田の地に社殿を築造。『八幡大神宮』
1081年 後に明ヶ森から鞆緒山に遷座した。 『木夜之郷本社楠橋之庄八幡大神宮』と称す。
1570年 天正の乱 大友宗麟の兵火で社殿を焼失。
1584年 太宰府の次官大蔵朝臣春実が戦勝祈願の為参拝しており、社殿はすでに再建されていた。
1842年 福岡藩主 黒田斎博により新建造。
1982年 鉱害復旧にて神殿社殿修復。 現在に至る。
北九州市有形文化財に指定。
保存状態が良好で、江戸時代末期の神社建築としては貴重。 拝殿、幣殿、渡殿、本殿と言う形式で北九州でも珍しいとの事。
凄い財により建築されており彫り物等目を見張る。
北九州市八幡西区上香月の杉守神社が兼務との情報あり。御朱印なし。
桜🌸扁額
参道
境内へ
御神牛 目が可愛い❤️ ちょっと不謹慎ですが色っぽい❤️です😉
御神木
拝殿
拝殿
拝殿上部の彫り物
由緒
北九州市有形文化財
斜めから
本殿
渡殿
龍🐉
球を持った龍🐉
本殿に唖然
歴史
由緒
紀元前に楠橋立石の地に祠堂があり舟舫を立て参詣した。
740年 大野朝臣東人、聖武天皇の勅を奉じ、現楠橋東明ヶ森、宮田の地に社殿を築造。『八幡大神宮』
1081年 後に明ヶ森から鞆緒山に遷座した。 『木夜之郷本社楠橋之庄八幡大神宮』と称す。
1570年 天正の乱 大友宗麟の兵火で社殿を焼失。
1584年 太宰府の次官大蔵朝臣春実が戦勝祈願の為参拝しており、社殿はすでに再建されていた。
1842年 福岡藩主 黒田斎博により新建造。
1982年 鉱害復旧にて神殿社殿修復。 現在に至る。
名称 | 廣旗八幡宮 |
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読み方 | ひろはたはちまんぐう |
参拝時間 | 無人 |
トイレ | 有り |
御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 御祭神 十五柱 同座ニ柱
左座 天照大神 豊受大神 市杵島姫命 田心姫命 湍津姫命 中央座 應神天皇 神功皇后 比売大神 右座 高皇産霊尊 神皇霊尊 大国主神 武甕槌神 経津主神 仁徳天皇 武内大臣 同座 白日別神 豊日別神 |
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文化財 | 北九州市有形文化財 |
ご由緒 | 由緒
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