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ひらいじんじゃ

平井神社
三重県 西大手駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
-

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
🌷日向ぼっこ☀️🐇
2024年11月12日(火)
896投稿

🌼平井神社(ひらいじんじや)⛩️に参拝させていただきました🙏 🌸当神社は「伊賀上野城」の北西すぐ、「平井山」と称される小高い丘陵地に鎮座する社です。🍁創建由緒については「伊賀誌」に、「孝謙天皇御宇天正勝宝三年(751年) 伊賀疫行天皇立使以小田庄祭大己貴命事代主命於此疫鬼鎮焉」とあり、「平井神社由緒記」には「延長元年(923年)九月事代主命平井天神宮と須氏神と崇める」とあるとのこと(少々誤植があるようにも思います)。🌺以上によると創建(或いは創祀)は天正勝宝三年(751年)であり、疫病(鬼の仕業と考えられたのか)を鎮めるために大己貴命と事代主命を祀ったということでしょうか。☘️「伊水温故」「三国地誌」には、菅原道真公縁の梅が九州大宰府より飛来したという縁起を持ち、飛来天神社と称したとも。語呂合わせでなぞらえた附会でしょうか。🌸安政二年(1856年)に二度の洪水、また明治三年には全村民家浸水流出の難に遭ったようです。🍁西を流れる「木津川」、北を流れる「服部川」とに挟まれた地で、いずれかが氾濫したようです。🪷参道には往時の様子を物語る石碑が建てられています(写真消失)。

👣所在地 : 三重県伊賀市小田町131

🌷 碧(ミドリ)/カフェ☕️ 倉庫をとても綺麗にリノベしたような建物。暖炉があり、バーカウンターがあり、広々とした空間で、窓から抜ける田園風景が気持ちいいです🍂 ランチは、味付けが出汁ベースで甘味塩見ともにバランスがとても良いです。また行きたくなるほのぼのできるカフェです☕️日替わりランチいただきました。道から少し農道を入った所にあるので通り過ぎないように注意です。ランチは旬の野菜がたくさん使われていて、家ではなかなか考えつかない味付けのものもあり、大満足。デザートも、コーヒーも、とても美味しかったです。ご馳走様でした🙏🌷

平井神社(三重県)

  天むす御膳  碧(ミドリ)/カフェ☕️

平井神社(三重県)

  御朱印  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  本 堂  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  表参道の鳥居  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  鳥 居  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  手水舎  平井神社(ひらいじんじゃ)

平井神社(三重県)

  拝 殿  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  狛 犬  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  狛 犬  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  稲荷社  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

  隣の保育園との共用駐車場

平井神社(三重県)

  稲荷社  平井神社(ひらいじんじや)⛩️

平井神社(三重県)

   碧(ミドリ)/カフェ☕️
倉庫をとても綺麗にリノベしたような建物。暖炉があり、バーカウンターがあり、広々とした空間で、窓から抜ける田園風景が気持ちいいです

平井神社(三重県)

  旬のしつらえプレート  碧(ミドリ)/カフェ☕️

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平井神社の基本情報

住所三重県伊賀市小田町131
行き方
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名称平井神社
読み方ひらいじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0595-24-4773
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》八重事代主命,菅原道真,《配》天児屋根命,武甕槌命,経津主命,天鈿女命,疾風神《合》大山祇神,建速須佐之男命
ご由緒

当社は往古よりの鎮座であり、「伊賀誌」に「孝謙天皇御宇天正勝宝3年(751)伊賀疫行天皇立使以小田庄祭大己貴命・事代主命於此疫鬼鎮焉」とあり、「平井神社由緒記」に「延長元年(923)9月事代主命平井天神宮と須氏神と崇める」とある。「伊水温故」「三国地誌」によれば菅原道真公縁の梅が九州大宰府より飛来したと云う縁起をもち飛来天神宮とも称され旧小田村字東出(往古は平井)に鎮座とある。「兼右郷記」に永禄11年(1568)伊賀国守護職仁木長政の招きにより吉田兼右が京都より上野丸山(旧小田村鉄砲場)の新城の地鎮祭を執行「幣串近所之天神内陣」に奉納とあり、当社の事であると思われる。江戸時代に俳諧連歌の座の中心とされ、延宝3年(1674)9月藤堂藩城和奉行玉置甚三郎、号無端寄進の石灯籠刻名「○氏天端」が現存する。無端は芭蕉が師事した北村季吟につながる俳人で松尾芭蕉の先輩にも当たる。文久年間に社殿は火災に罹り焼失し再建された社殿も嘉永7年(1854)の大地震に因り地盤沈下し、翌安政2年7月・9月と2度の大洪水にあい、更に明治3年9月稀有の大洪水に全村民家浸水流出の難に遇った。当村移居係村田順造は旧藩主藤堂家及び県知事に現在地の土地払い下げを嘆願し、明治6年許可なり、地名を明治屋敷と名付けた。村民移転の後、明治10年10月神社を建立、平井天神宮(八重事代主命)境内社津島社(素戔嗚尊)並に同村字西出の春日神社(天児屋根命,武甕槌命,経津主命,天鈿女命)境内社津島社(素戔嗚尊)更に同村字東出の疾追神社(疾風神)を合祀し、社名を平井神社と改称した。明治40年5月、同村字往古川の山神社(大山祇神)を合祀した。又、白川白瀧稲荷社を祀り護国神社には日露戦争の御霊を祀る。

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