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布氣皇舘太神社ではいただけません
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ふけこうたつだいじんじゃ

布氣皇舘太神社
三重県 亀山駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

その他の巡礼の情報

元伊勢(鈴鹿小山宮/忍山宮)

布氣皇舘太神社について

御朱印はPayPayでの支払いっぽいので、登録していないと難しいかもしれないです(書置き御朱印)

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神祇伯
神祇伯
2024年11月17日(日)
1461投稿

伊勢国鈴鹿郡の式内社「布気神社」であり、倭姫命さまが天照大神さまの鎮座地の候補として営んだ「鈴鹿小山宮/忍山宮」に比定される元伊勢の一つです。伊勢の神宮には特に有力な6つの神戸には政務を掌る神館を置き、当社は字が違いますが鈴鹿郡の神戸における神館を由来としています。

布氣皇舘太神社(三重県)

《一の鳥居と社号碑》
社号碑には「式内布気神社・皇大神宮遷幸御鎮座古跡」とあります。

布氣皇舘太神社(三重県)

《由緒書き》
この元伊勢である「小山宮/忍山宮」の候補地には当社と亀山市野村の忍山神社が挙げられますが、この由緒書きをそのまま読むならば、忍山神社の場所に鎮座された天照大神さまと、その神戸として当社の土地が献上されたという風に解釈ができます。

布氣皇舘太神社(三重県)

《表参道》
夕方に灯籠に明かりが灯ると綺麗に見えます。

布氣皇舘太神社(三重県)

《ニの鳥居と椛の木》
まだ紅葉は始まっていません。

布氣皇舘太神社(三重県)

《手水舎》
水は流れていませんでした。

布氣皇舘太神社(三重県)

《斎館》
この日は無人でした。paypay支払いがあると聞いていたので書き置きなのかと思いきやそれもなく。三重県の神社の神主さんは何社も兼務していることが多いですから、時間によっていらっしゃる日が決まっているのかも?

布氣皇舘太神社(三重県)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
本来の布気神社は現在地より東側の野村の他に布気林というところに鎮座していましたが兵火によって焼失してしまい、こちらの皇舘の森と呼ばれていた当地へ遷座してきました。その後も崇敬篤く2社分の社名は色々と呼び名が変わったそうですが、吉田家が皇舘大神の神号を下賜したことで現在の社名に固定されました。

布氣皇舘太神社(三重県)

《拝殿内部》
平清盛以降、平氏がよく使用していた揚羽紋が神紋になっています。

布氣皇舘太神社(三重県)

《摂末社》
左手に1社だけあります。

布氣皇舘太神社(三重県)

《本殿》
神明造です。

布氣皇舘太神社(三重県)

《裏参道》
夕暮れどきに灯籠に明かりが灯るとこんな感じになります。

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歴史

延喜式神名帳には、垂仁天皇18年鈴鹿郡布気神社と見えている。昔、旧野村字に布気林という所があり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのであるが、文明(1469~86)の頃に起った兵乱のため、社殿悉く焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられている。皇舘の森の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比古命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名であり、野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷と言い皇舘太神社を総社と仰ぎ、平素の尊崇は論を俟たず、大祭の奉仕に専念、殊に早魃の時には郷民こぞって参籠して祈ったということである。いろいろな名で親しまれたが、亨保8年(1723)に、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となったが、明治41年6月より現在の社名となった。明治41年、近郷近在の小社・小祠を合祀して今日の神社になった。

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布氣皇舘太神社の基本情報

住所三重県亀山市布気町1663
行き方
アクセスを詳しく見る
名称布氣皇舘太神社
読み方ふけこうたつだいじんじゃ
通称布気神社皇舘大神
参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約30分

参拝料

なし

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0595-82-2502
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主祭神》
 天照大御神,豊受大神,伊吹戸主神
《合祀神》
 宇迦之御魂神,火之迦具土神,大山津見神,大名牟遅命,菅原道真,火之夜芸速男神,木花佐久夜比売命,宇都志国玉神,天宇受売命,五男三女神,帯中日子命,広国押武金日命,建速須佐之男命,猿田彦神,品陀和気命,稲田比売命,高御産巣日神,手力雄命,彦狭知命,手置帆負命
ご神体不詳
創建時代紀元前12年(垂仁天皇18年)
創始者不詳
本殿神明造
ご由緒

延喜式神名帳には、垂仁天皇18年鈴鹿郡布気神社と見えている。昔、旧野村字に布気林という所があり、そこに奉斎してあったことから布気神社と称えたのであるが、文明(1469~86)の頃に起った兵乱のため、社殿悉く焼失したため、後に皇舘の森へ奉遷したと伝えられている。皇舘の森の皇舘とは、垂仁天皇の御宇、天照大御神が忍山に御遷幸の折、大比古命が神田・神戸を献じ給うたことに由来する地名であり、野尻、落針、大岡寺、山下、木下、小野、鷲山の七ケ村を神戸郷と言い皇舘太神社を総社と仰ぎ、平素の尊崇は論を俟たず、大祭の奉仕に専念、殊に早魃の時には郷民こぞって参籠して祈ったということである。いろいろな名で親しまれたが、亨保8年(1723)に、吉田家から皇舘大神の神号を受け、布気神社皇舘大神となったが、明治41年6月より現在の社名となった。明治41年、近郷近在の小社・小祠を合祀して今日の神社になった。

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