ささばじんじゃ
佐佐婆神社兵庫県 篠山口駅
参拝自由
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 鳥居前に5〜6台
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後鳥羽天皇の宝篋印塔がある「佐佐婆神社」
篠山川の支流・畑川沿いを通る県道沿いにある。
駐車場はないが鳥居横に凹んだところに駐車できる。
木造の大きな鳥居に境内を白い塀で囲われている。鳥居扁額に「佐佐婆神社と丹波太神宮」の文字。
鳥居潜って、左手に御手水、右手に「垂乳根の公孫樹」という御神木、正面のただっ広い境内奥に横長の拝殿。拝殿に佐佐婆神社と丹波太神宮が並ぶ。
拝殿から右側に末社が並び、その真裏に「後鳥羽天皇の宝篋印塔」一応案内板があるが宝篋印塔自体は小さくてわかりにくい。
拝殿の左側に授与所っぽいある。
後鳥羽天皇は、第八十二代天皇。承久の乱で敗北し隠岐へ流された。
この地は、後鳥羽天皇の妃・承明門院が戦乱後親族を頼って落ち延びた地と言われ、火打岩に承明門院が身を寄せた寺(廃寺)やお墓が残り、その関連で後鳥羽天皇の供養のための宝篋印塔があり、相殿で後鳥羽天皇が合祀されている。
鳥居
御神木の公孫樹
境内。鳥居からとおい
拝殿
授与所っぽいの。無人だった。
末社
末社真裏の後鳥羽天皇の宝篋印塔。小さい。
拝殿横にある。神大が作った流鏑馬の看板。顔の部分が外せるかはわかんない。古そうだ。
丹波国多紀郡の式内社です。
第七代孝霊天皇の御代に創建され、丹波地方を平定した日子坐王さまの子孫である佐佐君が奉斎していたことが社名の由来と思われます。
《鳥居》
扁額には"佐佐婆神社"とともに"丹波大神宮"と書かれています。
佐佐婆神社本殿の左側に現在も鎮座しています。
《由緒書き》
日本神話には『古事記』と『日本書紀』で部分的に差異があります。
この丹波地方も平定した人物が日子坐王さまか、丹波国道主命さまと書き方が変わります。
親子ではあるようですが。
《手水舎》
隣の川から水を引いて使えるようになりました。
《垂乳根の公孫樹》
当社の御神木で、つまりはイチョウです。
垂乳根のとおり、健康長寿のご神徳があります。
《社務所》
立派ですね。参拝時は無人でした。
《拝殿》🙏
《由緒書き②》
👁チェックポイント‼️
主祭神は天忍穂耳尊さまで、天照大御神さまの第一子ですが、主祭神として祀る神社は珍しいです。
ただ、奉斎していたのが佐佐君で、その祖神である志夫美宿禰王さまが開祖神として相殿におられるのは、もしかしたら主祭神が入れ替わった可能性があります。
《末社群》
ここも生野神社と同じく、他の末社と違って鳥居が建てられて特別な扱いを受けてますね。
いつもお世話になって(🤛
《後鳥羽天皇の宝塔》
承久の乱で配流された後鳥羽天皇さまですが、ここにはその妃である承明門院さまが関係者として裁かれる前に落ち延びていました。
そしてその妃を訪ねて後鳥羽天皇さまが松明をつけてやってきた出来事が、今も「火置谷の伝説」として残っていました
第七代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来皇室の崇敬篤く崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉斎せられたる社である。
名称 | 佐佐婆神社 |
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読み方 | ささばじんじゃ |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 090-3616-2755 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | 8142haruo@gmail.com |
ご祭神 | 《主》正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊《相》八幡大神,春日大神,住吉大神,廣嶺大神,天満大神,天之宇受女命,志夫美宿禰王,後鳥羽天皇 |
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創建時代 | 孝霊天皇の御代 |
創始者 | 孝霊天皇 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 第七代皇霊天皇の勅命によりて創立すと伝えられる古社にして、延喜式内神社となり、古来皇室の崇敬篤く崇神天皇の御代丹波国平定し給へる日子坐王の長子佐佐君の祖神志夫美宿弥一族の奉斎せられたる社である。 |
体験 | 祈祷お祓いお宮参り七五三祭り |
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