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千貫石神社について

千貫石堤は天和2年(1682年)に着工された、灌漑用の溜め池である。完成は元禄4年(1691年)であり、10年の歳月が掛かっている。

この堤を作るにあたって、人柱が立てられている。1000貫で買い取られた、「おいし」という19歳の娘であった。釜石あたりに住んでいた、器量は良いとは言えない娘であったと言われている。また嫁の貰い手があると騙されて連れて来られたという説もある。その娘を生きたまま子牛と共に石棺に押し込めて、100年の年季を限り人柱としたのである。地名ともなっている「千貫石」は、銭1000貫で買われたおいしが埋められた地ということで付けられたとも言われている。

経緯を見れば、明らかに本人が望んでなったものでもなく、人柱になる覚悟も諦めもなかったことは間違いない。工事の責任者であった伊達藩の普請奉行・川田勘祐の屋敷では、人柱を立ててから毎夜のごとく「暗いぞ、暗いぞ」と声がしたという。さらに川田一族はことごとく死に絶えたとも言われた。またおいしと関わりのあった家々でも代々実子が生まれず、血の繋がりのない人間が家を継いでいくこととなったともいう。これらは全ておいしの祟りであると噂されたのである。

そして100年の年季に近づいた安永6年(1777年)、7日7晩降り続いた雨のために千貫石堤は決壊した。多くの被害を出したが、この決壊の際にも約36mの青い光が流れ出たのが目撃され、これもおいしの祟りであるとされた。

時代はくだり昭和50年(1975年)、地元の複数の人の夢枕に、おいしの幽霊とおぼしき女性が立ったという噂が流れた。それを機に、おいしの供養を目的としておいし観音が建立されることとなり、翌年に完成した。おいし観音は、千貫堤を見下ろす小高い山の頂上に置かれている。ただ、今なおこの付近では女性や牛と思われる幽霊の目撃情報があるそうである。

日本伝承大鑑より

名称千貫石神社
読み方せんがんいしじんじゃ
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