おおさきじんじゃ
あなたのサポートが必要です〈特典あり〉
御朱印 | |||
---|---|---|---|
限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり。駐車場というか停めるスペースがあるという感じ。 |
大前神社について
御朱印は藤岡市街地(藤岡駅近郊)の八坂神社へ
おすすめの投稿
🌼大前(おおまえ)神社⛩️に参拝しました🙏栃木市藤岡町大前にあるバンビ幼稚園のすぐ北側に鎮座する神社てます。🌸当神社は創立時代は未詳であるが人 皇六十代醍醐天皇勅撰を蒙り延喜五年八月 式内社に列せられ延喜式内の稱号をたまわ り下野国十一座の一社として神名帳に登載 されています。☘️社伝によれば天慶2年(993)平将門の乱の 際村中ことごとく兵火に焼かれ当社も焼失 したが間もなく再建されました。🍁而し室町時代再度の火災により社運が衰い 祭祀を廃する事数百年であったと云われ、天正19年(1591)徳川家康入府の際再建 され元和八年(1622)当地が古河領とな り領主永井直勝は社地五反歩田四反七畝を 寄進し永井氏佐倉に移封された後も武の神 として近郷近在より崇敬されたと言います。🌺明治三年栃木県管轄となり近郷の総鎮守と されて明治5年11月郷社に列格しました。🌼現在の鎮座地は明治11年4月移転された もので旧社地跡は北方約四百m離れた台地 であった旧社地跡の記念碑も土地改良によ って北方約百mの畑地に移されています。🌸下野国誌によれば「オオサキ」と稱しているが 当社近郷では「オオマエ」とよんでいます。🍁当社境内と近隣に九世紀と考えられる「 タタラ」跡が三基確認され鎔工傍らに住みた る多くのも見られ字天国府字国造字城坊 などの地名もあり古代よりの社歴を物語っています。
🌷🌷「お食事処 つがや」元魚屋さんの目利きを活かして新鮮な旬の魚🐟を提供。素材が命の海鮮丼🍲はおすすめ‼️ 店主自ら減農薬にこだわり育てた新鮮な野菜☘️も自慢👍 全てにこだわり提供する料理のお店です🌷🌷
👣所在地 : 栃木県栃木市藤岡町大前383
海鮮おまかせ丼
御朱印 「大前神社」⛩️
大前神社⛩️
バンビ幼稚園のすぐ北側に鎮座する神社
天保四癸巳年(1833)四月造立の狛犬
社 殿
延喜式内大前神社沿革史
拝殿と空中幣殿で結ばれた本殿覆屋
神輿庫
弁財天
二の鳥居
「お食事処 つがや」旬の魚と野菜、こだわりの味処
エビ天重🦐 「お食事処 つがや」
大前神社(おおさき~)は、栃木県栃木市藤岡町にある神社。式内社で、旧社格は郷社。主祭神は於褒婀娜武知命(おおあなむち:大己貴命)、配祀神は神日本磐余彦火々出見命(かむやまといわれひこ:神武天皇)。
創建は不詳。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下野國 都賀郡 大前神社 小」に比定されている。社殿によると、993年の平将門の乱の兵火で社殿を焼失、間もなく再建するも室町時代に火災で焼失、祭祀が数百年断絶した。戦国時代の1591年社殿が再建され、江戸時代の1622年に当地が古河領になると、領主永井直勝が社地を寄進し、永井氏の佐倉移封後も武の神として崇敬した。明治になると、近代社格制度下で郷社に列し、1879年に南方400mの現在地に遷座した。
当社は、東武日光線・藤岡駅の北方2.5kmほどの、畑作エリアの小丘の上の小森の中にある。樹木の樹勢がすごいのか、境内入口から昼なお暗いのが印象的。境内周りも樹木がないのに光は少な目で、神聖な雰囲気といえばその通り。広さはそこそこで、小さめの郷社相当。
今回は、下野國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の昼ごろ、自分以外に参拝者は見かけなかった。
※当社は無人社だが、ネット情報では宮司さん宅で御朱印を拝受できるらしい...
境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。社叢の木々が鬱蒼としており、社殿までがトンネルのように見える。
入口の<一の鳥居>。ここまで近づいても、奥は暗くてよく見えない。
鳥居をくぐって左側にある、2本柱の簡素な<手水舎>。
手水舎前から前方を望む。さっそく<二の鳥居>が現れる。二の鳥居前には、燈籠が2対、狛犬が1対、いずれも新しいそうな奉納物が並ぶ。
<二の鳥居>と<狛犬>。狛犬の台座が高い。
<拝殿>全景。銅板葺のシンプルな拝殿。参道を挟んで離れた位置に狛犬と燈籠が立っている
<拝殿>正面。軒下には龍の彫刻。
拝殿正面上方に掛かる、<延喜式内 大前神社>の簡素な扁額。
社殿左手の石製小祠群。祠も台座も揃っているので、最近の同時期の建立かな。
こちらは<御輿庫>。
<社殿>全景。
拝殿後方の<本殿>は高い位置にあり、立派な石垣の上に一般住宅のような造りで建っている。
社伝に向かって右手にある<神楽殿>。その後ろにあるのは<社務所>っぽいが入口がない...
建物の反対側(南側)に回ると<社務所>との表示が。当社は無人社だが、ネット情報では宮司さん宅で御朱印を拝受できるみたい。
さて、なんでこんなド田舎に式内社が!?という大前神社にやってきました。
ちなみに「おおさき」と「おおまえ」両方で登録されててどちらに投稿しようか迷った(^^;
「おおまえ」の方がまだ未投稿だったので、そちらに投稿して「一番目に投稿」を掠め取るか(*´艸`)とも企てましたがw 皆さん「おおさき」の方に投稿されてるようだし、基本情報をコピペするのも面倒なのでこちらに(違w)
ちなみに宮司さんに「おおまえ神社の・・・」と尋ねたところ、「おおさき神社ですね」との回答だったので、社家的には「おおさき」の方が正しいみたい。
祭礼日と受印情報を追加。
あと参拝時にちょうど初宮参りに来てた御家族がいたため、体験で「お宮参り」にチェック入れときましたw 産土神が式内社とは贅沢な赤さんだな☆
式内社で大前神社というと、やはり真岡のあそこの方が圧倒的に有名ですが、同名なので混同する人もいるのか、Google Mapのクチコミを見るとこちらに真岡の写真やコメント入れてる人も(^^;
40km以上離れてるし、栃木県民なら藤岡と真岡を取り違えるなどあり得ないので県外の人かと思うが・・・まぁ知名度だの魅力度だの下世話なランキングでいつもワーストトップに食い込む栃木県だしなw よそ者の認識なんてその程度よ(ノ∀`)
自分は社格自体はあまり興味ないのですが、やはり式内社なんてのはそれなりの古社なので古代史や考古学的側面からは興味津々♪ この辺りも天国府だの国造だのいろいろロマン溢れる地名が付いてるらしいし。
ちなみに下野国府も同じ栃木市内にありますが、ず~っと北東に離れた思川中流近く。
もともとここに国府があって移転したのか? でもここだと南すぎて下野国全体を治めるのに不便すぎないか? あ、でも初期は那須国と別れてたから無問題か☆ ・・・などといろいろと妄想掻き立てられてwktkできる神社ですw
神社の少し北にある元宮の石碑も見てきました。
が、画像に載せたように実際に元宮があったのはもっと北とのこと。
Google Mapには「大前神社(獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮)宮跡地」と記載されてますが・・・これ埼玉古墳群の金錯銘鉄剣の文言(^^;
おそらく登録した人は古田武彦先生の「関東に大王あり―稲荷山鉄剣の秘密―」あたりを元に、ここにワカタケル大王こと雄略天皇の斯鬼宮があった!( ・`д・´)キリッと主張してるんだろうけど・・・ナイナイ(ヾノ・∀・`)
地元贔屓で魏志倭人伝の「狗奴国=毛野国」説を信じる私ですらこの説は荒唐無稽ですわ┐('~`;)┌ (五十歩百歩だ!www)
八坂神社で拝受した御朱印
これも見開きというには小さすぎる紙に横向きに書かれてる
神社より5~600m手前の藤岡第一中学校近くに一の鳥居
駐車スペースがないので少しだけ路駐して車内より撮影
門前左には神仏習合時代の地蔵や石仏など
「縁起式内」が誇らしげな評注w
狛犬の頭がめり込んでるw
左手に手水舎
二の鳥居
三の鳥居
右手に神楽殿や社務所
拝殿
神社の本殿彫刻でよく見る、イルカに乗った少年ならぬ、鯉に乗ったオッサンですねw
https://youtu.be/Qu1s02DrQE4
やはり摂社末社はかなり多いです
一社づつ拝めないのでまとめて遥拝(-人-)
御輿庫
覗いてみたけど暗くてよくわかりませんでした
御輿庫の右側にも摂社
ここも磐裂神社と同様、本殿は高台にあって渡り廊下が中空式
渡り廊下を潜って右側へ
こちらにも境内社がいくつかありますが祭神不明
境内右後ろに少し高めの塚があり、その下に3つ並んだ社
富士塚のようなので頂上にあるのはたぶん浅間神社
・・・しかし富士山八十八回登拝とか、水戸部直吉パネェ!Σ(*゚Д゚*)
隣は公園、散歩してる人のラジオから渡辺美里のMy Revolutionが流れてました♪
https://youtu.be/S4K6A8p3Yl4
西宮神社で書いた彼女がTM networkのファンでねぇ、よくウツと小室哲哉の話ししてましたわ(*´-`)
・・・木根さんの話題だけは出たことがなかったなw
神社の一本北の農道にある元宮の石碑
実は本当に元宮があった位置はここではなく、区画整理で移転されたものとのこと(^^;
周辺地図
元宮があったのはもう少し北です
しかしいくらなんでも「獲加多支鹵大王の斯鬼宮」はないだろwww
歴史
当神社は創立時代は未詳であるが人皇六十代醍醐天皇勅撰を蒙り延喜五年八月式内社に列せられ延喜式内の稱号をたまわり下野国十一座の一社として神名帳に登載されている。
社伝によれば天慶二年(九九三)平将門の乱の際村中ことごとく兵火に焼かれ当社も焼失したが間もなく再建された。
而し室町時代再度の火災により社運が衰い 祭祀を廃する事数百年であったと言ふ。
天正十九年(一五九一)徳川家康入府の際再建され元和八年(一六二二)当地が古河領となり領主永井直勝は社地五反歩田四反七畝を寄進し永井氏佐倉に移封された後も武の神として近郷近在より崇敬されたといふ。
明治三年栃木県管轄となり近郷の総鎮守と されて明治五年十一月郷社に列格した。
現在の鎮座地は明治十二年四月移転された もので旧社地跡は北方約四百m離れた台地 であった旧社地跡の記念碑も土地改良によ って北方約百mの畑地に移されてゐる。
下野国誌によれば「オオサキ」と稱しているが 当社近郷では「オオマエ」とよんでゐる。
尚当社境内と近隣に九世紀と考えられる「 タータラ」跡が三基確認され鎔工傍らに住みたる多くのも見られ字天国府字国造字城坊などの地名もあり古代よりの社歴を物語る
案内板より
名称 | 大前神社 |
---|---|
読み方 | おおさきじんじゃ |
トイレ | なし。すぐ隣の公園にはあることはある。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》於褒婀娜武知命 《配》神日本磐余彦、彦火火出命 |
---|---|
創建時代 | 不詳 |
ご由緒 | 当神社は創立時代は未詳であるが人皇六十代醍醐天皇勅撰を蒙り延喜五年八月式内社に列せられ延喜式内の稱号をたまわり下野国十一座の一社として神名帳に登載されている。
|
体験 | お宮参り御朱印 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
大前神社に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
12
0