そですりいなりじんじゃ
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源頼朝が伊豆流刑時代に自ら彫ったと伝わる稲荷神を祀り、その後、北条氏、徳川家など、歴史の舞台を転々とし、現在、浅草の地で人々の信仰を集める古社です。
●源頼朝の祈願から始まる歴史
約800年前、伊豆に流されていた源頼朝が、兵糧不足を憂い、稲荷の神体を自ら彫り、一社を建立したのが始まりとされています。その後、北条早雲の小田原城に移され、小田原城落城後には、小西半右衛門によって隅田の地に遷座されました。徳川家綱の時代に現在の地に移り、人々の信仰を集めるようになりました。
●霊験あらたか、開運稲荷として崇敬される
「開運稲荷」として崇敬され、五穀豊穣や家内安全など、人々の願いを叶える神様として信仰を集めてきました。特に、参拝者が神籬に袖をすり寄せて祈願したことから、「袖摺稲荷」と呼ばれるようになったという逸話も残っています。
●境内には十一面観音も
境内からは十一面観音像が出土し、稲荷神の本地仏として祀られています。源頼朝が彫ったとされる稲荷神と、十一面観音の両方にご利益があるとして、多くの人々が訪れます。
名称 | 袖摺稲荷神社 |
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読み方 | そですりいなりじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 宇迦之御魂神/倉稲魂命(うかのみたま)素戔嗚尊/須佐之男命(すさのお) |
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ご由緒 | (掲示板「袖摺稲荷神社」の縁起より) 今より約八百年前、源頼朝卿が伊豆に蟄居のときのこと、兵糧でもある米穀に乏しくならぬよう稲荷の神体を彫刻し、豆州北条に一社を建立したのが当社のおこりと云われています。後に伊勢新九郎(後の北條早雲)が小田原城に移った際に、その神体を城内へ遷座したところ多くの奇瑞が顕れたといいます。このことから開運稲荷と尊称されました。
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