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ひでどらごん
ひでどらごん
2024年10月20日(日)
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台東区元浅草に位置する孫三稲荷神社は、徳川家康にまつわる興味深い伝説を持つ稲荷神社です。この神社は、天正年間(1573-1592)に家康が「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ、安倍川を渡ったエピソードに由来しています。その後、家康がこの「孫三」を探したところ該当者が見つからず、安倍川の川辺にあった「孫三」の名を持つ祠が稲荷の化身であったことが判明しました。

●由緒と神社の移転

1590年、家康の関東入国の際に、この稲荷の神体は川村某の手によって江戸の神田三河町に遷座されました。その後、慶安年間に安倍川町に移され、地域の鎮守としての役割を果たしました。このエピソードから、神社の名前が「安倍川町」となったことも特筆すべき点です。
台東区教育委員会の掲示によると、当社は1648年から1652年にかけて、駿河国安倍川から当地へと移されたことが記されています。この過程で、地域の人々は神社を地域の守り神として信仰し続けました。

●祭神と信仰

孫三稲荷神社の祭神は宇賀魂神で、もともとは駿河国の安倍川の近くに鎮座していました。神社の創祀の年や社名の由来は不詳ですが、伝説によると、百六代正親町天皇の時代にこの神社が創建されたとされています。
境内には、神社を司る修験者・善明院に関する記録も残っており、神像は木造で長さ約10センチメートルのものであったとされています。今では静岡の孫三稲荷の正確な位置は不明ですが、当社は昭和26年に再建され、地域の祭りや行事が行われています。

孫三稲荷神社(東京都)
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孫三稲荷神社(東京都)
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歴史

(台東区教育委員会「孫三稲荷」の掲示板より)

 この付近は、『御府内備考』によると、慶安年中(一六四八ー五二)、川村某が駿河国安倍川(現在、静岡県静岡市域を中心に流れる一級河川)の鎮守「孫三稲荷」とともに駿河から当地へ移したことにより阿部川町と称していた。
 孫三稲荷は、当地に伝わっている由来によると、天正年間(一五七三ー九二)、徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、ただ安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があり、実はこの稲荷の化身であったという霊験から、天正十八年(一五九〇)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中当地へ移したという。この伝承は、江戸へ招来した年も『御府内備考』と異なるが、『町方書上』に、慶安に阿部川より移安したことが記されており、江戸初期には地域の鎮守として信仰を集めていたことが知られる。
 『町方書上』にはまた、当町に店借していた修験者の善明院という人物が「正一位孫三稲荷大明神」を司っており、神像は木造で長さ三寸(約十センチメートル)であったと記されている。
 現在、静岡の孫三稲荷の所在は不明であり、当地も関東大震災、東京大空襲などによって、記録や社殿を失ったが、昭和二十六年、当町会(阿部川町・菊屋橋町会)によって、社殿が再建され、毎年三月八日に例祭が行われている。

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名称孫三稲荷神社
読み方まごさんいなりじんじゃ

詳細情報

ご由緒

(台東区教育委員会「孫三稲荷」の掲示板より)

 この付近は、『御府内備考』によると、慶安年中(一六四八ー五二)、川村某が駿河国安倍川(現在、静岡県静岡市域を中心に流れる一級河川)の鎮守「孫三稲荷」とともに駿河から当地へ移したことにより阿部川町と称していた。
 孫三稲荷は、当地に伝わっている由来によると、天正年間(一五七三ー九二)、徳川家康が、「孫三」と名乗る者に馬の轡を取らせ安倍川を渡ったが、後にその孫三を探したところ該当者はなく、ただ安倍川の川辺に「孫三」の名を持つ祠があり、実はこの稲荷の化身であったという霊験から、天正十八年(一五九〇)関東入国の際、家康の命により稲荷の神体ごと川村某の手により江戸にもたらされ、慶安年中当地へ移したという。この伝承は、江戸へ招来した年も『御府内備考』と異なるが、『町方書上』に、慶安に阿部川より移安したことが記されており、江戸初期には地域の鎮守として信仰を集めていたことが知られる。
 『町方書上』にはまた、当町に店借していた修験者の善明院という人物が「正一位孫三稲荷大明神」を司っており、神像は木造で長さ三寸(約十センチメートル)であったと記されている。
 現在、静岡の孫三稲荷の所在は不明であり、当地も関東大震災、東京大空襲などによって、記録や社殿を失ったが、昭和二十六年、当町会(阿部川町・菊屋橋町会)によって、社殿が再建され、毎年三月八日に例祭が行われている。

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