とよとこじんじゃ
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豊功神社について
明治元年(1868)、旧藩主毛利家の霊屋として創建。境内からは満珠・干珠を眼下に望めます。初日の出の名所としても有名。
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【長門國 古社巡り】
豊功神社(とよこと~)は、山口県下関市長府宮崎町にある神社。旧社格は県社。祭神は、応神天皇、武内宿禰命、歴代長府藩主。
社伝によると、1602年に毛利秀元が櫛崎城を構えるにあたり、毛利氏の守護神・宮崎八幡宮を安芸国から勧請して中殿に祀り、当地に鎮座していた櫛崎八幡宮を左殿に移し、高良大明神を宇殿に祀って宮崎八幡宮と称したのが始まり。のちに松崎八幡宮と改称。1834年毛利秀元の霊祠に豊功大明神の称号が許され、1866年に豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊功神社と名付けられ、明治時代の1877年に豊功神社と改称、1917年に松崎神社と合祀し当地に遷座。近代社格制度のもとでは県社に列格した。
当社は、JR山陽本線・長府駅の南西4km弱の、瀬戸内海にせり出した断崖の上にある。敷地は広く、半分は神社で、半分は駐車場と草地になっている。常時海風にさらされているからか、社殿は鉄筋のような丈夫な造りになっている。特筆すべきは、境内から見える美しい海の眺めで、長門國二之宮・忌宮神社の社地で国の天然記念物でもある満珠島・干珠島がよく見える。
今回は、山口県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼ごろで、自分以外には参拝者は見掛けなかった。

境内南端入口の<一の鳥居>と<社号標>。

鳥居をくぐって左側にある<手水舎>。

参道左側の<授与所>。御朱印はこちら。(参拝時は無人で御朱印を拝受できず...(^_^;))

すぐに現れる<二の鳥居>。

二の鳥居手前左側の<狛犬>。

二の鳥居手前右側の<狛犬>。うしろに海が見える。

二の鳥居をくぐったところから境内全景。

社殿に向かって右手にある<祈願の鐘>、<七福神社>、<七福神像>。

<拝殿>全景。海際だからか、見るからに頑丈な造り。鉄筋コンクリ造りかな。

<拝殿>正面。左側に<龍神象>、右側に<長府藩祖・毛利秀元公の尊影>が飾られている。。

拝殿から振り返って境内全景。

拝殿の左隣にある<宝物館>。

宝物館の左隣にある<稲荷社>。

稲荷神社の左手にある<龍神社>。

龍神社の左手にある<茶筅塚>。うしろは<社務所>みたい。

茶筅塚の左手にある<長府藩報国隊顕彰之碑>。

顕彰碑の左手、二の鳥居の近くにある<秋葉社>。

境内東側から<社殿>全景。

拝殿後ろの<本殿>。こちらはオーソドックスな神明造。
なぜか「津軽藩弘前城」の巨大写真があるので調べてみると、長府藩毛利家の女性が津軽宗家に嫁いだことに因むらしい。

当社から見た瀬戸内海の眺め。中央の2つの小島は左手前が干珠島、右奥が満珠島。
長門國二之宮・忌宮神社の飛地境内で、国の天然記念物となっている。(^▽^)/
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 豊功神社 |
|---|---|
| 読み方 | とよとこじんじゃ |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 083-246-0124 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご祭神 | 応神天皇,武内宿禰,大国主大神穂田元清,毛利秀元,毛利綱元,毛利元朝,毛利元矩,毛利匡広,毛利師就,毛利匡敬,毛利匡満,毛利匡芳,毛利元義,毛利元運,毛利元周,毛利元敏 |
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