まちだてんまんぐう
町田天満宮東京都 町田駅
10:00~16:00
東京都町田市にある町田天満宮に参拝。町田駅前通りから線路を越す参宮橋を渡ると神社⛩️の大鳥居が見える。臥牛が2体・狛犬が3対参道にある。また境内社(旧社殿)に摂社出世稲荷と稲荷社がある。梅が少し咲いていたシーズンはきれいだろう。
御朱印は書置きでいただきました。
町田天満宮〜社号碑と大鳥居
町田天満宮〜社殿・扁額
町田天満宮〜御朱印
町田天満宮〜社殿
町田天満宮〜絵馬
町田天満宮〜梅の木・少し咲いている
町田天満宮〜原町田七福神・恵比寿像
町田天満宮〜臥牛①社殿そば新しい牛さん
町田天満宮〜臥牛②参道入口のちょっと古い牛さん
町田天満宮〜3対の狛犬①阿像3体と奥に臥牛
町田天満宮〜3対の狛犬②吽像3体
町田天満宮〜境内社(旧社殿)
町田天満宮〜摂社・出世稲荷
町田天満宮〜摂社・稲荷社
当神社は文教の祖神菅原道真公を主祭神とし、日枝社・飯綱社を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の一社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と共に古くから崇敬されてまいりました。主祭神菅原道真公は、承和十二年京都に産まれ、菅家廊下と云われる儒学の家として幼少より勉学に努め、宇多天皇、醍醐天皇に信任を得て、右大臣に任命されました。しかし左大臣藤原時平の讒言により、昌泰四年太宰権帥に左遷され九州太宰府に下向、配所にあっては天を怨まず人を咎めず、ひたすらに皇室の安泰を祈念され、延暦三年二月二十五日、御歳五十九歳で斃去されました。
このように不遇な文人政治家であった菅原道真公が生涯を通じて示した至誠の道は、文学者としての才能と共に後の人々に認められ、天神信仰が全国に流布し崇敬されております。
併祭神大山咋神は大津市坂本の日吉神社を総本社として、近くは赤坂日枝神社があり、俗に山王様と呼ばれています。
併祭神宇迦能御魂神は五穀の神として飯綱様と呼ばれ、長野県飯縄山に本社があります。(境内の掲示より)
当神社は文教の祖神菅原道真公を主祭神とし、日枝社・飯綱社を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の一社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と共に古くから崇敬されてまいりました。主祭神菅原道真公は、承和十二年京都に産まれ、菅家廊下と云われる儒学の家として幼少より勉学に努め、宇多天皇、醍醐天皇に信任を得て、右大臣に任命されました。しかし左大臣藤原時平の讒言により、昌泰四年太宰権帥に左遷され九州太宰府に下向、配所にあっては天を怨まず人を咎めず、ひたすらに皇室の安泰を祈念され、延暦三年二月二十五日、御歳五十九歳で斃去されました。
このように不遇な文人政治家であった菅原道真公が生涯を通じて示した至誠の道は、文学者としての才能と共に後の人々に認められ、天神信仰が全国に流布し崇敬されております。
併祭神大山咋神は大津市坂本の日吉神社を総本社として、近くは赤坂日枝神社があり、俗に山王様と呼ばれています。
併祭神宇迦能御魂神は五穀の神として飯綱様と呼ばれ、長野県飯縄山に本社があります。
名称 | 町田天満宮 |
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読み方 | まちだてんまんぐう |
参拝時間 | 10:00~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
ホームページ | tenmangu.newsinet.com |
おみくじ | あり |
絵馬 | あり |
ご祭神 | 《主》菅原道真公
《相》大山咋神・宇迦能御魂神 |
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創建時代 | 天正十年(1582) |
ご由緒 | 当神社は文教の祖神菅原道真公を主祭神とし、日枝社・飯綱社を併せて奉斎し、天正年間この地に鎮座、町田三天神の内の一社で、本町田菅原神社、南大谷天神社と共に古くから崇敬されてまいりました。主祭神菅原道真公は、承和十二年京都に産まれ、菅家廊下と云われる儒学の家として幼少より勉学に努め、宇多天皇、醍醐天皇に信任を得て、右大臣に任命されました。しかし左大臣藤原時平の讒言により、昌泰四年太宰権帥に左遷され九州太宰府に下向、配所にあっては天を怨まず人を咎めず、ひたすらに皇室の安泰を祈念され、延暦三年二月二十五日、御歳五十九歳で斃去されました。
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体験 | おみくじ絵馬祭り札所・七福神巡り |
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