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宮崎縣護國神社ではいただけません
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みやざきけんごこくじんじゃ

宮崎縣護國神社
宮崎県 宮崎神宮駅

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惣一郎
惣一郎
2023年02月28日(火)
1269投稿

【全国護国神社巡り】

宮崎縣護國神社(みやざきけん・ごこく~)は、宮崎県宮崎市神宮にある神社。旧内務大臣指定護国神社相当。祭神は、宮崎県出身の国家公共に尽くした人の神霊及び公務殉職者の御霊41,000余柱。

第二次世界大戦以前、宮崎県内には7つの招魂社があったが、1939年の内務省令「招魂社ヲ護國神社ト改称スルノ件」により一斉に護国神社と改称した。ただし、いずれも内務大臣が指定した府県社相当の指定護国神社ではなく、それ以外の村社に相当する指定外護国神社であった。1941年の大東亜戦争勃発に伴い戦歿者数が著しく増加したことにより、宮崎県内で指定護国神社建設の機運が高まり、1943年に内務大臣からの許可を得て建設工事が始まったが、やがて宮崎空襲の激化により1945年5月末をもって工事は中止となった。戦後、日本の主権回復の1952年からふたたび宮崎県護国神社建設の機運が高まり、1955年に宮崎神宮境内神社として設立された。

当社は、JR日豊本線・宮崎神宮駅の西方400mにある宮崎神宮の敷地内、西側にある。このため、当社独自の大きな鳥居が、宮崎神宮境内の西側に建っている。鳥居をくぐって少し歩くと当社境内に到着し、そこから社殿まではおおむね100mほどの真っ直ぐな参道が続いている。敷地は広くはないが、深い緑に囲まれた護国神社らしい厳かな雰囲気が漂っている。

今回は、旧内務大臣指定護国神社相当であることから参拝することに。参拝時は平日の夕方で、自分たち以外にも、神社好きと思しき夫婦連れなどが参拝に訪れていた。

宮崎縣護國神社の鳥居

宮崎神宮の境内西端にある、当社・宮崎縣護國神社の<一の鳥居>と<社号標>。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

一の鳥居をくぐって数十m進んだ左手の眺め。この辺りからが当社の境内。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

参道右側にある建物。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

参道右側にある<社務所>。御朱印はこちら。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

参道左側にある建物。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

参道左側にある<手水舎>。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

参道左側の<神馬>。赤い神馬は珍しいかも。(o^―^o)

宮崎縣護國神社の鳥居

参道進んで<二の鳥居>。

宮崎縣護國神社の本殿

二の鳥居をくぐったところからの眺め。真っ直ぐの参道が気持ち良い。
この位置からだと、拝殿後方の本殿の屋根がかろうじて確認できる。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

<拝殿>全景。緑の屋根に白い躯体が清々しい。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

<拝殿>正面。紅白の紙垂や柑橘系の果実の飾りは珍しい。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

拝殿から振り返って境内全景。

宮崎縣護國神社の建物その他

拝殿に向かって右手に石碑が並んでいるので見て廻る。
こちらは<馬魂碑>(左)と<慰霊之碑(第三十七師団戦歿者)>(右)。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

<慰霊之碑(臺湾歩兵第一聯隊戦没者)>(左)と<鎮魂碑(ブーゲンヒル島)>(右)。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

こちらは<神風特攻隊のさきがけ敷島隊>の石碑。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

<特攻勇士之像>とその碑文。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

<記念碑(七三一〇部隊)>と<慰霊之碑(輸送船富山丸戦没者)>

宮崎縣護國神社(宮崎県)

こちらは<慰霊碑(歩兵第七十二連隊)>。

宮崎縣護國神社(宮崎県)

最後に<拝殿>全景。宮崎神宮内にありながらも、周りを深い木々に囲われており、まったく別の空気感をもっている。(^▽^)/

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のぶさん
のぶさん
2021年08月02日(月)
1604投稿

 この神社は宮崎神宮の西側に隣接して鎮座しています。何処の護国神社でも感じるのですが、この社も整然と整備清掃されています。

 御祭神:国家公共に尽くした人の神霊
 例祭日:例大祭・4月10日、みたま祭・8月14・15日、命日祭・毎日御前10時
 由緒: 全国各道府県の護国神社は殆ど明治維新の当時に招魂社として創建され戦前より慰霊の祭儀が行われていました。 けれど宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であった等の事情もあって、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されていませんでした。そこで県としては移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行ってきましたが、昭和18年4月23日内務大臣の許可を得て宮崎市下北方の高台に鎮座地を定め建設工事に着手しました。
 その建設途上、昭和20年8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下におかれるとともに建設を放棄するのを余儀なくされました。
 その後、講和条約の発効をみるに至り護国神社再建の要望が起こり、昭和28年4月宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財をつのり神社の再建に着手し、昭和30年3月竣工同日鎮座祭を斎行し今日に至ります。

宮崎縣護國神社の鳥居
宮崎縣護國神社の建物その他
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例祭・神事

4月10日 例祭
8月15日 終戦記念奉告祭
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歴史

当社の祭神は戊辰の役(慶応四年・明治元年に行われた官軍と旧幕府側との戦役)を始め、過去幾多の国難に殉ぜられ、そのご存命中宮崎県に密接なる関係を有せられた人で、すでに靖國神社に合祀された神霊である。
宮崎県においては、従来国家の危急に殉ぜられた英霊を県民挙って祭祀する護国神社がなく遺憾とするところであったが、大東亜戦争勃発により戦没者の数は著しく増加し、これ等護国の英霊に対する県民の勧請と敬仰の念はいよいよ熾烈となり、ここに県民の要望に応えるため、当時の宮崎県知事の職にあった永船克己をはじめ58名が代表者として、昭和十八年四月二十三日内務大臣の許可を得て宮崎県護国神社創建に着手した。しかしながら建設途上において、昭和二十年八月十五日の終戦を迎え、日本が連合国軍の管理下に置かれると共に、当時の軍政部長官の言明により建設を放棄するの余儀なきに至った。その後独立国家として更正するに及び、再び護国神社建立の要望が澎湃として起こったので、昭和二十八年四月、田中長茂(当時の宮崎県知事)を総裁に、日高弥一(当時の県議会議長)を会長とする宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して、県民の浄財を募り神社再建に着手した。昭和二十九年六月十三日、役員会で本神社運営上、一応宮崎神宮の境内神社として設立することに議決し、同年六月三十日付を以て神社本庁統理の承認を受け、宮崎神宮境内神社として創立した。翌昭和三十年(1955)三月十日竣工、同日鎮座祭を行いここに始めて国家公共に尽くした人の神霊を奉祀申し上げることができた。その後、本神社を宗教法人法による宗教法人として設立するのを適当と認める議が起こり、同年十一月二十六日神社本庁統理の承認を受け、同十二月二十一日宮崎県知事の認証を受け、昭和三十年十二月二十四日宗教法人設立の登記を完了した。爾来神社創立の日(3月10日)を例祭日と定め祭祀を行ってきたが、諸般の事情に依り昭和五十三年二月十八日神社本庁統理の承認を受けて例祭日を四月十日に改めた。

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宮崎縣護國神社の基本情報

住所宮崎県宮崎市神宮2丁目4-3
行き方

・宮崎ICより宮崎駅方面に約8km
・JR日豊本線宮崎神宮駅よりタクシーで約5分

アクセスを詳しく見る
名称宮崎縣護國神社
読み方みやざきけんごこくじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0985-25-2719
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://miyazaki-gokoku.jp/
お守りあり
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

全国護国神社めぐり

詳細情報

ご祭神国家公共に尽くした人の神霊
創建時代昭和30年3月10日
本殿本殿(流造)
ご由緒

当社の祭神は戊辰の役(慶応四年・明治元年に行われた官軍と旧幕府側との戦役)を始め、過去幾多の国難に殉ぜられ、そのご存命中宮崎県に密接なる関係を有せられた人で、すでに靖國神社に合祀された神霊である。
宮崎県においては、従来国家の危急に殉ぜられた英霊を県民挙って祭祀する護国神社がなく遺憾とするところであったが、大東亜戦争勃発により戦没者の数は著しく増加し、これ等護国の英霊に対する県民の勧請と敬仰の念はいよいよ熾烈となり、ここに県民の要望に応えるため、当時の宮崎県知事の職にあった永船克己をはじめ58名が代表者として、昭和十八年四月二十三日内務大臣の許可を得て宮崎県護国神社創建に着手した。しかしながら建設途上において、昭和二十年八月十五日の終戦を迎え、日本が連合国軍の管理下に置かれると共に、当時の軍政部長官の言明により建設を放棄するの余儀なきに至った。その後独立国家として更正するに及び、再び護国神社建立の要望が澎湃として起こったので、昭和二十八年四月、田中長茂(当時の宮崎県知事)を総裁に、日高弥一(当時の県議会議長)を会長とする宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して、県民の浄財を募り神社再建に着手した。昭和二十九年六月十三日、役員会で本神社運営上、一応宮崎神宮の境内神社として設立することに議決し、同年六月三十日付を以て神社本庁統理の承認を受け、宮崎神宮境内神社として創立した。翌昭和三十年(1955)三月十日竣工、同日鎮座祭を行いここに始めて国家公共に尽くした人の神霊を奉祀申し上げることができた。その後、本神社を宗教法人法による宗教法人として設立するのを適当と認める議が起こり、同年十一月二十六日神社本庁統理の承認を受け、同十二月二十一日宮崎県知事の認証を受け、昭和三十年十二月二十四日宗教法人設立の登記を完了した。爾来神社創立の日(3月10日)を例祭日と定め祭祀を行ってきたが、諸般の事情に依り昭和五十三年二月十八日神社本庁統理の承認を受けて例祭日を四月十日に改めた。

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