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ひらききじんじゃ

枚聞神社
鹿児島県 開聞駅

御朱印について
御朱印
あり
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-
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あり
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
-

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四季
四季
2023年08月29日(火)
495投稿

枚聞神社(ひらききじんじゃ)

~玉手筥💝
薩摩国開聞神と和田都美神~

主祭神 大日孁貴命 
    (おおひるめのむちのみこと)
社格  式内社(小) 
    薩摩国一宮 
    旧国幣小社 
    別表神社 
創建  神代 伝和銅元年(708年)
例祭  10月15日 
主神事 ほぜ祭り(10月14日-16日)
通称  オカイモンサン

御由緒
御鎮座年代は社伝によれば遠く神代の創祀という。既に貞観二年三月、薩摩国従五位下開聞神加従四位下と三代実録に載せられているのを始めとして、同書には数度の神位昇叙の事が記され、殊に貞観十六年七月には開聞神山の大噴火の状態を太宰府より言上、神意を和める為勅令により封戸二千を奉られたとある。延喜式には薩摩国頴娃郡枚聞神社と今の枚聞の文字を用い、加紫久利神社と共に薩摩国式内社の一社として記載されている。 古来薩摩国一宮として代々朝廷の尊崇厚く度々奉幣あり、殊に島津氏入国の後はその崇敬絶大にして正治二年社殿再興以来、歴代藩主の修理、改造、再建等十余度に及び、元亀二年頴娃領主家の内乱に依り千九百余町の神領を失ったが、天正二十年九月には島津家より改めて田畠合計二十四町歩を寄進され、旧藩時代は別当寺瑞応院と共に祭祀を営んで来たものである。 また琉球人の崇敬も厚く、琉球王の名によって航海安全の神徳を奉謝して献納された額面が保存されている。 明治四年五月国幣小社に列せられ、現在薩摩国一宮として近隣の崇敬を集めている。
~鹿児島県神社庁より~

社殿の真後ろに開聞岳が位置するため、山岳信仰もあるようです。
開聞岳 そのお姿があまりにも神々しく嬉しかったです。

✴竜宮伝説き
枚聞神社から池田湖のほうへ進むと、日本最古の井戸とされる「玉の井」があります。
豊玉姫と彦火火出見のお二人が出会われた場所が『玉の井』といわれています。
(鹿児島県指宿市開聞十町)

海の神ワタツミの娘・トヨタマヒメは、美しい真珠に象徴される女神。 トヨタマヒメが朝夕、水をくんでいた玉乃井である日のこと、なくしてしまった兄の釣り針を探して、ワタツミを訪ねたヒコホホデミノミコト(山幸彦)は、この地でトヨタマヒメと出会われました。
そしてお互いに一目で心を通わせ結ばれます。 このご結婚により、ヒコホホデミノミコトは釣り針と潮満珠(しおみつたま)、潮乾珠(しおふるたま)を手に入れられました。

🐇🐇🐰🐇🐇

そして
住吉大社摂社大海神社境内の「玉乃井」に潮満珠、
潮乾珠は、住吉大社の御旅所 宿院頓宮「飯匙堀」(御祓祭斎場たる宿院並びに飯匙堀(いいがいぼり)は堺津繁華の枢区として 亦 千古不易の霊域たり)に、しずめられていると伝わります。

鹿児島県指宿市開聞十町1366

枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社の建物その他
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社の絵馬
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社(鹿児島県)
枚聞神社の御朱印帳

枚聞神社御朱印帳(藤色)

枚聞神社(鹿児島県)

素晴らしい✴オカイモン✴オーラ✴がありました

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惣一郎
惣一郎
2023年03月24日(金)
1269投稿

【薩摩國 式内社巡り】

枚聞神社(ひらきき~)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社。式内社で薩摩國一之宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。主祭神は大日孁貴命(おおひるめのむち:天照大御神)、配祀神は五男三女神。

創建は不詳。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根差した神社であったと考えられている。社伝によると、飛鳥時代の708年の創建。当初は開聞岳の南麓に鎮座していたと言われるが、貞観年間(859年~877年)の噴火により別地に避難、その後北麓の現在地に遷座されたとされる。国史の初見は『日本三代実録』860年条で神階奉授、866年条、882年条で神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「薩摩国 頴娃郡 枚聞神社 小」に比定されている。鎌倉時代以降は新田神社(薩摩川内市)との間で薩摩国一宮の地位を巡って激しい争いを繰り広げた。戦国時代には島津氏の有力家臣であった頴娃氏の庇護下にあったが、江戸時代になると島津氏が崇敬し1610年に島津義弘が社殿を寄進、1787年に島津重豪がこれを改築している。明治時代に入り近代社格制度のもと国幣小社に列格した。

当社は、JR指宿枕崎線・開聞駅の北東600mの、県道28号線沿いの郊外、平地にある。神体山である開聞岳のちょうど北側にあって、境内北側にある入口から参道を進むと、勅使殿(普通の神社の拝殿)の背後に開聞岳が見えるというドラマティックな配置になっている。境内の広さは広大だが、参拝エリアは一宮としてはコンパクト。ただし社殿の配置が特異で、参道の突き当りが勅使殿、その両側に長庁という横長の建物があって、勅使殿の後方に拝殿と本殿がある造りで独特な雰囲気がある。

今回は、薩摩國の式内社、薩摩國一之宮、旧国幣小社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、早い時間だったにもかかわらず自分たち以外にも気合の入った参拝者が何組も訪れていた。

枚聞神社の鳥居

境内北端入口全景。写真右端は県道28号線の枚聞神社前交差点。

枚聞神社(鹿児島県)

神橋を渡って<一の鳥居>。

枚聞神社(鹿児島県)

参道を進んで<二の鳥居>周辺全景。右手の巨木が古社であることを証明してくれる。

枚聞神社(鹿児島県)

<二の鳥居>とその両側の<門守神社>。

枚聞神社(鹿児島県)

二の鳥居前、左手にある<手水舎>。

枚聞神社(鹿児島県)

二の鳥居をくぐって参道を進むと、参道右側にある<宝物殿>。

枚聞神社(鹿児島県)

宝物殿には国指定の重要文化財である<松梅蒔絵櫛笥>が収められている。松と梅の蒔絵で飾られた女性用の化粧用具箱。
当社では「竜宮伝説の玉手箱」として紹介している。(写真は説明看板を撮ったもの)

枚聞神社(鹿児島県)

参道上の宝物殿近くから見た<社殿>全景。他の神社と大きく異なる点としては、中央に<勅使殿>があり、その両側に<長庁>建っていること。もう一つは、勅使殿の背後に、神体山である<開聞岳>が見えること。

枚聞神社の景色

開聞岳は写真のような、独特で綺麗な形をしているのが特徴。
当社に向かう途中、車の助手席から撮影。(運転中に撮ったわけではありません)...(^_^;)

枚聞神社(鹿児島県)

こちらが<勅使殿>。

枚聞神社(鹿児島県)

<勅使殿>内部。奉納酒樽が並ぶ。床も天井も、彫刻も彩色もとにかく美しい。

枚聞神社(鹿児島県)

右側の<長庁>。左右ともに授与所になっている。御朱印帳は左側の長庁にて領布している。

枚聞神社の本殿

勅使殿の後ろの<拝殿>。

枚聞神社(鹿児島県)

<拝殿>正面。

枚聞神社(鹿児島県)

<拝殿>内部。

枚聞神社(鹿児島県)

拝殿後ろの<本殿>。

枚聞神社(鹿児島県)

本殿の右外側にある境内社。

枚聞神社(鹿児島県)

<社殿>全景。

枚聞神社(鹿児島県)

社殿の左手にある<祈願者控所>。

枚聞神社(鹿児島県)

長庁前に戻って、こちらは<神馬>。

枚聞神社(鹿児島県)

勅使殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。

枚聞神社(鹿児島県)

社務所前から<社殿>方向を望む。やはり社殿前に勅使殿と長庁が一列に並んで建っているのが壮観。

枚聞神社(鹿児島県)

最後に<勅使殿>と<開聞岳>。神聖な雰囲気と相俟って、神様に近づけたような、深く心が洗われる感覚にすっかり浸ってしまった。
空気感がとにかく素晴らしい神社。(^▽^)/

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枚聞神社の基本情報

住所鹿児島県指宿市開聞町十町1366
行き方
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名称枚聞神社
読み方ひらききじんじゃ
通称おかいもんさま
参拝時間

授与所:8:00~17:00

参拝料

宝物殿:100円

トイレあり
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0993-32-2007
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじあり
絵馬あり

巡礼の詳細情報

日本全国の一宮まとめ

詳細情報

ご祭神〈主〉大日孁貴命〈配〉天之忍穂耳命,天之穂日命,天津彦根命,活津彦根命,熊野樟日命,多紀理毘売命,狭依毘売命,多岐都比売命
ご神体開聞岳
創建時代不詳
本殿入母屋造
文化財

松梅蒔絵櫛笥(国指定重要文化財)

体験祈祷おみくじ絵馬御朱印お守り重要文化財一の宮伝説

Wikipediaからの引用

概要
枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社。式内社、薩摩国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
歴史
歴史[編集] 創建の年代は社伝によれば、遠く神代とされているが、神社の縁起には,和銅元年(708年)の創建と記されている。元々は開聞岳を神体とする山岳信仰に根ざした神社であったと考えられ、当初は開聞岳の南麓に鎮座していたといわれているが、貞観年間の噴火により揖宿神社の所に一時避難、その後北麓の現在の場所に遷座されたという。 信頼できる史料での初出は『日本三代実録』貞観2年(860年)3月20日庚午条の神階昇叙記事で、この日に薩摩国従五位上開聞神が従四位下を加えられた[1]。開聞神は、貞観8年(866年)4月7日に従四位上を授けられ[2]、元慶6年(882年)10月9日に正四位下を授けられ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報枚聞神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9E%9A%E8%81%9E%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=102022360
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