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おおそねはちまんじんじゃ

大曽根八幡神社
埼玉県 八潮駅

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えぶ
えぶ
2026年03月01日(日)631投稿

拝殿で早くも見事な彫刻に迎えられました。
正面上には、龍がこちらを向いて睨んでいます。目にはガラス玉が入っているよう。
左右の獅子にも目が入ってるんです🐲
本殿は更に素晴らしい👍
いつもはしないのですが、記録用に撮影してしまいました。
参拝後に神職に伺うと、後藤一重という後藤派の彫り師で、茨城県の龍ヶ崎の神社にも良い作品がある、とのこと。
池の近く、道の駅があって、そのそば、普段は無人と言うので、これは探索が楽しみですね。
すでに参拝した中では、有人ですが龍ヶ崎八坂神社と、取手八坂神社が素晴らしい彫刻だったので、それも確認してみます。
本殿の「八岐大蛇」と「天岩戸」は分かったのですが、分からなかった西側を伺うと「神武東征」とのこと。鳥は八咫烏なんですね。
帰る前に再確認して来ました。
神職からは北の方にある八條八幡神社では稀有な彫刻が有りますよ、と勧められましたが、これも昨年参拝していたので、明治時代を象徴する彫刻の話で盛り上がりました。
この神社は火災に遭い、同時に書物も焼失してしまったために由来や歴史が不明なんだそう。
同様な神社が多いのが、本当に惜しいです😭

帰ってさっそく後藤一重の調査。
ウキウキと言う地域情報サイトの「我孫子&八潮で探る-彫刻師・後藤藤太郎」の情報から転用します。
「二代目・後藤藤太郎で、生まれ育ったのは現在の茨城県龍ケ崎市の南西部、北方(きたかた)です。「一重」の名も時に用い、また本来の姓は佐藤だったようです。江戸時代後期から明治期にかけて隆盛を誇った彫刻師の一派「後藤家」がおそらく師匠筋で、藤太郎も父の勘治も腕が確かなゆえに、その姓を受け継いだと考えられます」
いやー龍ヶ崎出身なんですね!
しかも参拝して彫刻に感動した葺不合神社も同氏の作品‼️👁️👁️
参拝してきた自分の短い歴史をたくさん思い出すこととなり、いやー感慨深い参拝になりました。

大曽根八幡神社の御朱印
大曽根八幡神社(埼玉県)

ヤマタノオロチ、迫力が!

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歴史

抑、当社は、文亀二年(1502)に勧請されたが、一説には後三年役に源義光が兄源義家援軍のため、寛治元年(1087)に花俣郷から綾瀬川を渡河し大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝える。
 誉田別命を御祭神とし境内社に稲荷神社・天神社・古峯神社を祭祀する。寛文十年(1670)十一月十五日に大曽根村の領主旗本森川摂津守重房公より三石の黒印状が発給され、森川家の氏神社となる。延宝二年(1674)に重房公は、荒廃した御社殿を再興し、以来森川領六千石の総鎮守とされ元禄十五年(1702)新たに二石が加増され、都合五反歩の社領を有した。森川家の毎年の正五九の御神札は八幡神社から届けられ、祭礼の祈りには森川家から代参者が遣わされ祭典が執り行われた。
 御社前の第二の鳥居は、宝暦十一年(1761)に浅田政臣が奉納、天保十五年(1844)に森川俊朝が第一の鳥居を奉納、文化六年(1809)に総氏子らが第三の鳥居を奉納した。これらの鳥居は、安政二年(1855)の地震の時に倒壊し、安政五年に再建された。
 明治四年(1871)に大曽根村の村社に指定され、同二十二年(1889)に八幡村の村社となり、同二十八年(1895)に本殿・拝殿を改築し現在に至る。

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大曽根八幡神社の情報

住所埼玉県八潮市大曽根18
行き方

つくばエキスプレス「八潮」駅北口から徒歩20分
つくばエキスプレス「八潮」駅から綾瀬駅行バス7分乗車、大曾根八幡神社バス停下車し徒歩2分、
綾瀬駅より八潮北口行きバス19分乗車、大曾根バス停下車し徒歩3分

大曽根八幡神社の基本情報

名称大曽根八幡神社
読み方おおそねはちまんじんじゃ
参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号048-998-5899

お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご祭神《主》誉田別尊
創建時代文亀二年(1502)
ご由緒

抑、当社は、文亀二年(1502)に勧請されたが、一説には後三年役に源義光が兄源義家援軍のため、寛治元年(1087)に花俣郷から綾瀬川を渡河し大曽根の地を経て東国に赴いた頃より、八幡神を奉斎されたとも伝える。
 誉田別命を御祭神とし境内社に稲荷神社・天神社・古峯神社を祭祀する。寛文十年(1670)十一月十五日に大曽根村の領主旗本森川摂津守重房公より三石の黒印状が発給され、森川家の氏神社となる。延宝二年(1674)に重房公は、荒廃した御社殿を再興し、以来森川領六千石の総鎮守とされ元禄十五年(1702)新たに二石が加増され、都合五反歩の社領を有した。森川家の毎年の正五九の御神札は八幡神社から届けられ、祭礼の祈りには森川家から代参者が遣わされ祭典が執り行われた。
 御社前の第二の鳥居は、宝暦十一年(1761)に浅田政臣が奉納、天保十五年(1844)に森川俊朝が第一の鳥居を奉納、文化六年(1809)に総氏子らが第三の鳥居を奉納した。これらの鳥居は、安政二年(1855)の地震の時に倒壊し、安政五年に再建された。
 明治四年(1871)に大曽根村の村社に指定され、同二十二年(1889)に八幡村の村社となり、同二十八年(1895)に本殿・拝殿を改築し現在に至る。

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