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しゃくじいひかわじんじゃ

石神井氷川神社のお参りの記録一覧
東京都 上石神井駅

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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月04日(木)476投稿

本邦内で流通している硬貨以外の貨幣が賽銭箱に投げ入れられる光景は、非常に珍しいものです。しかし、石神井の氷川神社では、実際にそのような光景を見ることができました。これはもしかするとインバウンド観光の影響かもしれませんし、あるいは郷土意識の表れとして、自国の通貨を賽銭箱に納める心理が働いているのかもしれません。そのような心理であれば、ある程度理解はできますが、神社側としては必ずしも歓迎しているとは言えないでしょう。賽銭は手作業で回収・管理されることも多く、異なる貨幣が混ざると見た目での誤認や取り扱いの煩雑さが生じます。また、機械式の賽銭箱を使用している場合、大きさや材質の異なる硬貨が混入すると、故障や詰まりの原因にもなります。

例えば、沖縄に滞在していると、知らぬ間に財布の中に10元硬貨が混ざっていることがあります。見た目や大きさが日本の10円硬貨に似ているため、店員が誤って日本円だと思い込んで釣り銭として渡してしまうこともあるのです。このような現象は、海外通貨と日本の硬貨の混同が日常的に起こり得ることを示しています。

さらに、昨今では硬貨の取り扱いに伴う金融機関の手数料が増えてきており、硬貨の出し入れには費用がかかる場合があります。そのような背景から、一部の神社では賽銭箱に「10円硬貨以上のみを投じてください」と明示している例もあります。実際、高知県のとある神社ではこの表示が見られ、参拝者に対して適切な対応を促していました。

一方で、近年では電子決済の普及により、QRコードを使ったお賽銭も登場し始めています。川崎駅から川崎競輪場に向かう途中の神社では、参拝者がスマートフォンでQRコードをスキャンしてお賽銭を納める光景も見られました。このように、インバウンド観光の影響、硬貨の両替手数料、そしてQRコード決済の導入といった要因によって、参拝する側も神社側も、少しずつ変化を迫られているのが現状です。伝統的な賽銭文化が持つ意味を守りつつ、利便性や現代の事情に対応する工夫が求められているのです。

石神井氷川神社(東京都)

foreign currencyの文字が入ると、意図がより明確になるのかなと思いました

石神井氷川神社(東京都)
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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月04日(木)476投稿

石神井氷川神社の境内には、稲穂が青々と風に揺れています。まもなく刈り取られ、神前に奉納されるのでしょう。稲刈りは単なる農作業ではなく、神と人とのつながりを意識する時間でもあります。神社が地域の生活や農業文化に深く根ざしていることが、こうした風景からよく伝わってきます。現代では農業機械の発達によって手作業での稲刈りは減りましたが、神社で行われる稲刈り祭や、稲を用いた神事は、今も地域の伝統と信仰をつなぐ重要な行事として大切に受け継がれています。

私自身、生涯に一度だけ稲刈りを体験したことがあります。それは米文化とはあまり結びつかない沖縄での出来事でした。田んぼの中に足を踏み入れ、稲を一株一株刈り取る作業は想像以上に重労働で、慣れないこともあってすぐに背中が痛くなりました。あのとき、米を育てることの大変さと、日々口にするご飯のありがたさを身をもって実感したものです。

また、幼い頃から親に「米は大切にすべきもの」と教えられていたことも思い出します。沖縄滞在中、食器に米粒が残ったまま放置されているのを見たときは、正直げんなりした覚えがあります。それは単なる食べ残しではなく、米という生命の結晶を粗末にしているように感じられたからです。近年の米価高騰も、米を愛する者にとっては大きな痛手と言えるでしょう。

興味深いのは、「ご飯」という言葉の変化です。本来、ご飯とは文字通りお米そのものを指していました。しかし現代では、食事全般を意味することが一般的になっています。それだけ米は日本人の食文化の中心であり、日々の暮らしに欠かせない存在として定着しているの証拠でしょう。稲刈りや神社での奉納、そして日常の食卓でのご飯の意味までをつなげて考えると、米という作物が単なる食料以上の文化的・精神的価値を持っていることが、改めて実感されます。

石神井氷川神社(東京都)
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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月05日(金)476投稿

石神井氷川神社に参拝しました。参拝という行為は、単に神前に立つという動作にとどまらず、その背後には「時間的な余裕」があることをも意味します。しかし、その「余裕」が必ずしも心の充足に直結するとは限りません。これまでの経験を振り返ると、確かに参拝はしたものの、その後に予定が控えているなどの理由で、所作だけを一通り済ませてしまい、心の中に何も残らなかったことがありました。そのような参拝は、まるで時間を浪費しているかのように感じられます。参拝の本質は、心を込めて祈りを捧げることにあります。そうでなければ、「スタンプラリー」にすら及ばず、ただ形をなぞるだけの空虚な行為になってしまうでしょう。

その反省を胸に、この日は自分なりの「攻略法」を意識し、まずは境内をゆっくりと歩くことから始めました。足取りを急がず、意識的に呼吸を整え、境内の空気感を肌で受けとめながら心を落ち着ける。そうして歩を進めていくと、やがて自然に祈りの姿勢が整い、参拝の一瞬がより深みを帯びてきます。

参拝の折にも、可能な限り摂社ひとつひとつに礼を尽くすことにしていますが、その際に「ここにはどのような神様が祀られているのか」と思いを巡らすと、不思議と参拝の価値が高まっていきます。単に礼を尽くすのではなく、祭神の由来や分霊元の社のことを頭の中で描くと、祈りが歴史や土地とつながり、そこに意味が生まれるのです。

こちらの石神井氷川神社にも、稲荷社・須賀社・三島社・御嶽社・八幡社・三峯社・阿夫利社・浅間社・榛名社と、多くの摂社が祀られていましす。それぞれに祈りを捧げるたび、全国の名だたる神社や霊峰が頭に浮かびます。特に榛名神社については、個人的な思い入れがあります。群馬県で行われるマラソン大会に参加した際、大きな鳥居を目にしたことが何度かありましたが、実際に鳥居をくぐって参拝した経験はまだありません。送迎バスの中からその大きさに驚くだけでした。その鳥居の姿はただの風景ではなく、心に残る「いつか訪れたい場所」として記憶に刻まれています。榛名山登頂と合わせて参拝することで、その地に根ざした信仰の深さを肌で感じたい――この氷川神社で榛名社に手を合わせるうちに、その気持ちは一層強まりました。

参拝とは、ただ一度の祈りではなく、心に積み重ねていく体験であり、やがて新たな行き先や縁へとつながっていく営みでもある。そのことを改めて実感できた一日でした。

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hei
hei
2025年07月19日(土)169投稿

さっきのア◯街石神井公園回だったのに10秒くらいしか映されなかったので投稿。趣ある神社で去年あたりから干支の御朱印もあります。

石神井氷川神社(東京都)

武蔵野三十三観音長命寺で発願して道場寺、三宝寺と参拝。その流れで車通りから参道入り口に来ました。

武蔵野三十三観音は85周年ということで今年は特別印も押されます。

石神井氷川神社(東京都)

本当は三宝寺さんのとこすぐで曲がると少し近道らしいけど通り過ぎてしまったんでせっかくだし参道通りました。

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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月04日(木)476投稿

石神井の氷川神社では、古来より玉祓いという独特の方法で、邪気や穢れを取り除くことができるとされています。私はまだこの儀式を実際に体験したことがないため、自分の体や心には未だに多くの穢れが残っているような気がしてなりません。いつか必ず、この玉祓いによって心身を清めていただきたいと願っています。

この玉祓いは、土器(かわらけ)を投げる神事を思い起こさせます。素焼きの小さなお皿を投げることで自分の穢れや災厄を神前に託すという意味において、投げられた土器は割れることで、象徴的に悪いものや災いが「消え去る」という発想だと考えます。

上方落語の演目『愛宕山』では、この土器投げの様子が、まるで道楽遊びのように滑稽に描かれることがあります。元来この神事は厄除けや穢れ払いのための真剣な宗教行事でありますが、土器を投げる一瞬の動作の中にも祓い清めるという強い意味が込められていることに一定の理解ができます。

現代においては、厄除けという宗教的な側面とはやや異なる形であるのが「破壊セラピー」。例えば、皿やコップなどを思い切り投げつけてストレスを解消するという療法が知られています。これは、古来の土器投げと同じく、ものを破壊する行為によって心の中の負の感情を晴らすという心理的な効果に通じるものがあります。そう考えると、玉祓いやかわらけ投げの神事は、現代人にとっても心身をリフレッシュさせる「象徴的な破壊の儀式」として理解できるのかもしれません。

石神井氷川神社(東京都)
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えい
えい
2025年01月03日(金)712投稿

あけましておめでとうございます🎍
すっかりお参りも投稿も減ってしまい、昨年の参拝記録も残ったままですが💦とりあえず新年なので初詣です🤗年末年始の忙しさから疲れが出て寝込んでしまい、なんとか頑張って3日の夕方、地元の氏神様にお参りに行きました🙏どんより曇りの日☁︎昨日まであんなに晴れてたのになあ😅
参道で並んでいると前にいた子二歳くらいかな?ママと勘違いして抱きついてきたり、その前の女の子がやたらこちらを見るので全部の写真に顔が写ってしまっていたり、なんだかほっこりしました😌
今年は穏やかで平和なお正月が迎えられて幸せを感じます✨一年ずっと平和な日々が続きますように😊
神社の近くには石神井公園、石神井城址がありとても緑豊かなところです🌲🌲🌲

主神 須佐之男命
相神 稲田姫命、大己貴命

 この石神井氷川神社は、石神井郷の総鎮守社です。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む全域の鎮守(守り神)です。かつてはこの地域は、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の五つの村からなっていました。本社はその各村民より、長きに渡りあつい崇敬を受けてきた神社なのです。今日なお、一般に「石神井のお氷川さま」呼ばれ、親しまれています。 氷川神社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図絵』等の諸本に、その社名が明記せられていることからも分かります。また、現在する御手洗鉢(社殿の西側、末社の前にある石造りの鉢)にも、「石神井郷鎮守社」と刻まれています。 神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。

 当時の豊嶋氏が治める領地の中心は、現在の池袋から豊島園遊園地のあたりであったと伝えられており(現在の「豊島区」という地名は豊嶋氏に由来するものです)、石神井城はその領地の西方を護る砦でありました。また同時に豊かにして貴重な水源地である、石神井池(現在の三宝時池)を護る意図もあったと伝えられています。しかし、やがて豊嶋氏は大田道灌に攻められ、善戦するもその甲斐なく退却を強いられました。そして遂に文明九年(一四七七)四月十八日、道灌により石神井城が攻略され、城主豊島泰経(やすつね)とその息女・照姫は池に身を投げて自害されたのです。 石神井城落城とともに、栄華を誇った豊嶋氏は勢力を失ってしまいました。豊嶋氏滅亡の悲劇は、今も「黄金の鞍と照姫の伝説」として語り継がれています。
神社ホームページより

石神井氷川神社(東京都)

鳥居✨

石神井氷川神社(東京都)

花手水✨

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ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月04日(木)476投稿

昼間の賑わいがすっかり落ち着き、夕闇に包まれた境内に足を踏み入れると、そこには昼間とはまったく異なる趣が漂っていました。白昼には多くの参拝客で賑わっていた境内も、夜の帳が下りると自然と静けさを取り戻し、木々の葉擦れや遠くの虫の声が、まるで参拝者を導くかのように響いてきます。その穏やかさの中で手を合わせるひとときは、慌ただしい日常から切り離され、心が澄んでいくような清らかさに包まれる時間でした。

石神井氷川神社は「石神井郷の総鎮守」として古くから崇敬を集めてきた格式ある社であり、地域の人々にとって大切な拠り所となってきました。その歴史や由緒を改めて思うと、古より続く祈りの場に身を置いていること自体が、どこか特別な巡り合わせのように感じられます。日がすっかり沈む頃には境内の灯籠や参道の灯りが柔らかくともり、漆黒の闇の中に浮かび上がる社殿は、昼間には見られない幻想的な美しさを湛えます。光と影とが織りなすその光景は、訪れる者の心に深い余韻を残し、まるで時間がゆるやかに溶けていくようでもありました。

静謐でありながら温かみを感じさせる夜の神社は、昼間の賑わいだけでは味わえない心の安らぎを与えてくれる場所でした。参拝を終えて境内を出る頃には、心が軽やかに解き放たれたように感じられ、再びここを訪れたいという思いが自然と芽生えていました。

石神井氷川神社(東京都)
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えい
えい
2024年01月08日(月)712投稿

500投稿目は初詣〜♪と元旦の夕方出かけようとはりきっていたら大地震が発生、東京も久しぶりに揺れました😖お囃子や獅子舞の賑やかな神社へお参りする気持ちになれずお正月のお参りはやめました😞
1月6日地域の氏神さまに新年のご挨拶をし、被災地の方々の安全と1日も早い復興をお祈りしました。被災された皆さまへ心よりお見舞い申し上げます。

御朱印は金銀の龍の書き置き御朱印のみ
直書きは1月15日からだそうです。
お札だけいただきました🙏

御祭神
主神:須佐之男命
相神:稲田姫命 大己貴命

御由緒
 この石神井氷川神社は、石神井郷の総鎮守社です。現在の町名では、石神井台から石神井町・上石神井・下石神井・立野町までを含む全域の鎮守(守り神)です。かつてはこの地域は、谷原・田中・上石神井・下石神井・関の五つの村からなっていました。本社はその各村民より、長きに渡りあつい崇敬を受けてきた神社なのです。今日なお、一般に「石神井のお氷川さま」呼ばれ、親しまれています。 氷川神社が石神井郷の総鎮守であったことは、『新編武蔵風土記稿』『江戸名所図絵』等の諸本に、その社名が明記せられていることからも分かります。また、現在する御手洗鉢(社殿の西側、末社の前にある石造りの鉢)にも、「石神井郷鎮守社」と刻まれています。 神社の創建は、古く室町時代に遡ります。社伝によれば、本社は室町時代の応永年間(1394年-1428年)に、このあたりに勢力が大きかった豊嶋氏が、この地を護る石神井城の中に、城の守護神として祀ったのが創まりです。武蔵国一ノ宮である大宮の氷川神社から御分霊を奉斎したのです。神社ホームページより

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