かまがたはちまんじんじゃ
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★鎌倉街道上道散策(嵐山町)3
【散策ルート】
①大行院神明殿〜②源義仲公生誕伝承地〜③源義賢墓〜④大蔵館跡〜⑤大蔵神社〜⑥鎌形八幡神社〜⑦班渓寺〜⑧菅谷館跡〜⑨菅谷神社
鎌倉街道からは少し外れますが、義仲に縁のある寺社を廻って見ます。
⑥鎌形八幡神社
鎌形八幡神社は、比企郡嵐山町鎌形にある神社です。坂上田村麻呂が東征時に宇佐八幡宮を勧請して延暦12年(793)塩山に創建したと伝えられます。祭神は誉田別命、比売大神、神功皇后で、源頼義・義家親子も東征に際して尊崇、大蔵館の源義賢や、当地の清水で産湯を受け出生した義仲など、源氏に所縁が深い社です。建武の中興後の戦乱により焼失し、木曽義仲清水伝説の残る当地に移転したと伝えられ、徳川家康が関東に入国した翌年の天正19年(1591)には、社領20石の御朱印状を受領していました。境内社は厳島神社、八坂神社、瀬戸神社、山神社、白和瀬神社。祭日は春季例大祭4月3日、秋季例大祭10月13日、八坂神社祭7月16日です。
⑥鎌形八幡神社 鳥居
⑥鎌形八幡神社 社号標柱
⑥鎌形八幡神社 案内板
⑥鎌形八幡神社 二の鳥居
⑥鎌形八幡神社 神門
⑥鎌形八幡神社 狛犬
⑥鎌形八幡神社 狛犬
⑥鎌形八幡神社 義仲生誕産湯清水碑
⑥鎌形八幡神社 産湯清水
⑥鎌形八幡神社 拝殿前
⑥鎌形八幡神社 拝殿
⑥鎌形八幡神社 本殿説明板
⑥鎌形八幡神社 境内社
⑥鎌形八幡神社 境内社
⑥鎌形八幡神社 境内社
⑥鎌形八幡神社 境内
木曽義仲産湯の清水がある「鎌形八幡神社」
都幾川に架かる八幡橋と埼玉r173の間。
駐車場、道を挟んだところにもできそうだし、境内にも停めれそうだし色々停めれそう。
背の高い細い木が茂る鎮守の森の中。
一の鳥居横に「郷社八幡神社」の石標。横に由緒板あり。
鳥居をくぐりまた由緒板。二の鳥居を潜って、参道をまっすぐ進み狛犬の右隣に御手水。御手水が木曽義仲の産湯と言われる。
狛犬の間の階段を登り拝殿。大きめの末社がちらほら。
二の鳥居の右側に授与所っぽい建物が複数建っているが人の気配なし。
木曽義仲は、父・源義賢が大蔵館に移り住んだ年に生まれたと言われ、近隣の7つの清水から産湯を沸かしたと伝わる。現在残っているのは当社の清水のみ。
当社より徒歩20分のところに大蔵館跡が残る。
大河ドラマ『晴天を衡け』で、渋沢栄一が生まれ故郷・血洗島での祭りシーンのロケ地。
歴史
鎌形八幡神社は、平安時代初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると言い伝えられている。武門、武将の神として仰がれ「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」縁起の中にもある。
源義賢、義仲、義高の三代に関する伝説がこの地には多く、源氏の氏神として仰がれていたという。
また、嵐山町指定文化財である懸仏が二枚保存されている。
安元二年(1176)の銘がある懸仏は径18センチメートルで、中央に阿弥陀坐像が鋳出されていて「奉納八幡宮宝前 安元二丙申天八月之吉 清水冠者源義高」と陰刻されている。(但し、源義高は安元二年には生まれていない)もう一つの貞和四年(1348)の銘がある懸仏は、径17センチメートルで、薬師坐像が鋳出されていて「渋河閑坊 貞和二戌二子七月日施主大工兼泰」と刻まれている。
その他、木曽義仲産湯の清水や、徳川幕府歴代将軍の御朱印状などの多数の文書がある。
名称 | 鎌形八幡神社 |
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読み方 | かまがたはちまんじんじゃ |
通称 | 鎌形の八幡様 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》誉田別尊,比売神,神功皇后 |
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創建時代 | 延暦年間 |
創始者 | 坂上田村麻呂 |
本殿 | 一間社流造 |
文化財 | 本殿、貞和の懸仏、伝木曽義仲産湯の清水(町指定有形文化財) |
ご由緒 | 鎌形八幡神社は、平安時代初期、延暦年間に坂上田村麻呂が九州の宇佐八幡宮の御霊をここに迎えて祀ったのが始まりであると言い伝えられている。武門、武将の神として仰がれ「源頼朝及び尼御前の信仰ことのほか厚く」縁起の中にもある。
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体験 | アニメなどサブカル武将・サムライ |
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