ふくわらはちまんぐう
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創建は天喜五年(1057年)源頼義が前九年の役制圧の為に奥州へと向かう際、戦勝を祈願して岩清水八幡宮より分霊を勧進したのが始まりといわれています。
のち、那須一族の崇拝社のため、那須与一が社殿を改修したそうです。
本殿の彫刻は見事です。
明治以前は向かいの金剛寿院と一緒だったそうです。

朱塗りはよく見かけますが、白い龍は初めて見た気がします。

本殿のここに白い龍がいました。

鳥居の注連縄が、蛇のように絡んでいます。

拝殿

拝殿の注連縄も絡んでいます。

那須与一の絵が奉納されていました。

参道の途中には苔むした神橋がありました。
人間は渡れないように鎖て封鎖されていました。

境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 福原八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | ふくわらはちまんぐう |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 参道内右側 |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》誉田別命 《配》素盞嗚命,火産霊命,大己貴命,少彦名命 |
|---|---|
| 創建時代 | 1057年 (天喜五年) |
| ご由緒 | 天喜五年(一〇五七)九月の創立で、源頼義が奥羽鎮国として下向の途次、この地に滞陣し戦勝を祈るため一小祠を建て、山城国岩清水八幡宮を分祀、当地を八幡村と称したという。後、嘉承元年(一一〇六)秋須藤権守貞信(那須家の祖)が、八溝山中の凶賊岩岳丸退治のとき、当社に祈願したため功を奏したという。その後、八幡村に居城を構え須藤家の氏神とし社殿を造営したという。元暦二年(一一八五)、那須余一宗隆が屋島にて扇の的を射るとき、八幡、温泉両神社を心中祈願して、その功を奏したため、那須家守護神とし社殿を再建、毎年籾五十俵を寄進した。その後、元禄十五年(一七〇二)二月那須資明は家老高瀬治右衛門、総奉行北尾吉左衛門、池沢松伯に命じて現神殿を再建させ、寛政三年(一七九一)三月、遷宮の式を行なったという。また那須神社の分祀とも云われ、金剛寿院が管理していたこともあったともいわれている。 |
| ご利益 | 病気平癒 |
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