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高井八幡神社の次に訪れました もともとの由緒は神亀5年(728年)に大山祇神社より勧請された石井郷一宮の三島大明神なのですが、後に嵯峨天皇の皇子寛王が伊予国司として赴任し、貞観18年(876年)にこの地で亡くなり、神社の近くに埋葬されその神霊を合祀したことから墓辺神社と呼ばれるようになり、明治14年に墓の字を嫌い波賀部神社と名称を改められたとのことです 着いた頃には日が傾きかけていて少し薄暗さがありましたが境内は綺麗にされていて社殿も立派でした また本殿裏には古墳時代中期の伊予豪族の古墳があります 市内で最大規模の古墳だそうです
嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予の国司として赴任されたが、貞観18年(876)この地で亡 くなられ、神社の傍らに遺骸を葬り、神霊を合祀したことから、社号を墓邊神社と改称し、その後 波賀部神社としたそうです。
すぐ隣に古墳がありました。
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