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歴史

正平七年二月十五日(1352年)足利尊氏追討のため宗良親王を奉し挙兵した新田義興公に祭神らも従って、人見原(府中市)、金井原(小金井市)、小手指原、高麗原(埼玉県)で戦い遂に鎌倉を占領、一時は東国八州を治めた。世にこの戦いを武蔵野合戦と云う。
 正平十三年(1358)四月三十日、足利尊氏の死により足利基氏は新田義興公の勢力を恐れ、北武蔵野合戦で義興公に従った竹沢右京亮、江戸遠江守、江戸下野守と奸計をめぐらし、それぞれの所領没収の罪科に処されたと偽称せしめ、義興公に救援挙兵を求めさせた。義興公はこの謀略にかかり竹沢・江戸らと合流して足利基氏・畠山国清を討つべく、正平十三年十月十日、その支族および近習の将兵十数名とひそかに鎌倉に向かうため、多摩河矢口の渡し舟に乗った。江戸遠江守らは予めこの舟に穴をあけていたため、義興公らは河中において進退谷まり遂に壮烈な自刃、或は渡岸し江戸・竹沢の軍勢と奮戦したが悉く憤死した。(矢口渡、津の戦)
 その後、祭神らの忠烈を崇め村老らが墳墓を築き社祠を興し、一社の神として合祀して十騎神社と名付け南朝につくした功績を称賛した。

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名称十寄神社
読み方とよせじんじゃ
通称十騎さま
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》新田義興,伊弾正左衛門,世良田右馬助,市川五郎,土肥三郎左衛門,由良兵庫助,由良新左衛門入道信阿,南瀬口六郎,松田与市,宍道孫七,進藤孫六三衛門,堺壱岐権守
創建時代正平十三年/延文三年(1358)
ご由緒

正平七年二月十五日(1352年)足利尊氏追討のため宗良親王を奉し挙兵した新田義興公に祭神らも従って、人見原(府中市)、金井原(小金井市)、小手指原、高麗原(埼玉県)で戦い遂に鎌倉を占領、一時は東国八州を治めた。世にこの戦いを武蔵野合戦と云う。
 正平十三年(1358)四月三十日、足利尊氏の死により足利基氏は新田義興公の勢力を恐れ、北武蔵野合戦で義興公に従った竹沢右京亮、江戸遠江守、江戸下野守と奸計をめぐらし、それぞれの所領没収の罪科に処されたと偽称せしめ、義興公に救援挙兵を求めさせた。義興公はこの謀略にかかり竹沢・江戸らと合流して足利基氏・畠山国清を討つべく、正平十三年十月十日、その支族および近習の将兵十数名とひそかに鎌倉に向かうため、多摩河矢口の渡し舟に乗った。江戸遠江守らは予めこの舟に穴をあけていたため、義興公らは河中において進退谷まり遂に壮烈な自刃、或は渡岸し江戸・竹沢の軍勢と奮戦したが悉く憤死した。(矢口渡、津の戦)
 その後、祭神らの忠烈を崇め村老らが墳墓を築き社祠を興し、一社の神として合祀して十騎神社と名付け南朝につくした功績を称賛した。

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