とみがおかはちまんぐう
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楽しみ方富賀岡八幡宮のお参りの記録一覧
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富賀岡八幡宮は、奈良末期の創建とされ、産土鎮守神として信仰されています。
江戸中後期には江戸の郊外の名所として有名となり、特に桜並木の参詣道は歌川広重の「名所江戸百景」にも描かれています。 境内の富士塚は「砂町の富士塚」といわれ、江東区の有形民俗文化財です。(江東区観光協会)
江東区の神社というと、富岡八幡宮のイメージが強い。
だが、創建年代を観ると、江戸時代に入ってからだ。
太田道灌は八幡宮を崇敬しており、この辺りの神社をも大事にしていたとあるが、こちらの方だったのではないかと思う。
表の看板にもしっかりと太田道灌の名が書かれている。
参拝客で溢れかえっており、賽銭箱までの待ち時間がある深川八幡宮。(富岡八幡宮)
こちらは御朱印も年に数回。参拝客も殆どいない。静かな場所であった。
ここに咲くのは越前水仙だ。
この南砂の地を開拓した砂村新左衛門が福井県の出身であった為、福井県の人が奉納したのだという。
富岡八幡宮(深川八幡)の旧地に新左衛門が勧請した八幡(現在の富賀岡八幡宮)の辺りは江戸時代に「元はちまん」と呼ばれる景勝地で、初期開発時にはこの辺り東西に塩除堤(土手)が築かれた。その外の洲にも杭が打たれて砂村新田の範囲であるとされていたが、土手の外は実質的には海水が入ってくる未開地であった。その後(元禄年間)には土手の南側に官製の土手が築かれ、平井新田などの再開発が進んだ。
人がいない静かな神社ではあったが歴史的に深い場所であった。
水仙咲く 江戸の願い 豊作か
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富賀岡八幡宮は、東京都江東区南砂に鎮座しています。最寄り駅は東京メトロ東西線の南砂町駅で、駅前から歩いておよそ10分ほどの距離です。境内に掲げられている由緒書によれば、御祭神は応神天皇、比売大神、宇迦之御魂大神をはじめとする八柱の神々。創建は奈良時代・天平勝宝元年(749年)と伝えられており、実に千年以上の歴史を刻む古社です。江東区という都市部の只中にありながら、由緒の深さを感じさせます。
境内へ至る参道の構造も印象的です。まず道路に面して立派な社号碑があり、そこからおよそ20メートル進むと鳥居が姿を現します。さらにその奥へ20メートルほど歩を進めると拝殿が現れ、参拝者を迎えます。コンパクトながらも奥行きのある境内配置で、正面からまっすぐに社殿へと導かれる構造は、実にオーソドックスな八幡宮の風格を漂わせています。社殿そのものも、典型的な八幡造の意匠を備えており、端正で落ち着いた雰囲気の佇まいでした。
社殿の左奥には境内社の浅間神社が鎮座しており、そこには小規模ながら立派な富士塚が築かれています。石段や道筋が設けられており、かつては富士山信仰の一環として多くの人々が登拝したのでしょう。現在は「登山禁止」との掲示があり、実際に登ることは叶いませんでしたが、周囲を取り囲む溶岩石の質感や富士塚独特の雰囲気からは、往時の賑わいを偲ぶことができます。
境内にはもうひとつ目を引くものがありました。平成の初め、皇太子殿下(現・天皇陛下)のご成婚を記念して建てられた石碑です。時代を象徴する出来事を地域の人々と分かち合い、記念に刻んだのでしょう。私自身にとっても、ご成婚パレードでほんの一瞬、雅子さまのお姿を垣間見ることができたのは大切な思い出であり、その記憶がこの石碑と重なって鮮やかに甦りました。
境内には保育園も併設されています。その名も八幡保育園。私自身、幼少期にここへ通っていたことがあり、就学前の10月頃、引っ越しの都合で中退(除籍ではなく退園)したことを思い出しました。神社と保育園が一体となって地域に根づいている姿には、土地の人々の暮らしと信仰が深く結びついていることを実感させられます。
今回は夜遅い時間に参拝したため、境内の全体像や細部を十分に味わうことができませんでした。昼間の明るい時間に訪れることができていれば、社殿の装飾や富士塚の趣き、境内の空気感をもっと鮮やかに感じ取ることができたに違いありません。その充実度を思うと、今回の参拝が少し悔やまれる気持ちもあります。それでも、短い時間ながら歴史の重みや地域との結びつきを体感できたひとときは、確かに心に残るものとなりました。
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