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【令和四年二月二十四日参拝】
鶴崎神社由緒
◆鎮座地 岡山県都窪郡早島町早島2220番地
◆御祭神
大吉備津彦命荒魂(オホキビツヒコノミコトアラミタマ)
◆由 緒
御祭神の大吉備津彦命は、第7代孝霊天皇の皇子。
第10代崇神天皇の御代人々は神祇を敬って天下にようやく災害も無くなったが、遠国には未だ大和朝廷の命に従わないものが多くあった。
そこで天皇即位の10年、天皇は皇族の中から4人の将軍を選んで北陸(大彦命)・東海(武渟川別命)・西道(吉備津彦命)・丹波(丹波道主命)に派遣して天下を鎮定する事となった。
命はその四道将軍の一人として西道(吉備国・現在の岡山県、兵庫県西部、広島県東部、香川県島嶼部)に下られ、当時の有力な強賊(豪族)蟹梟帥(カニタケル)を征伐して、この国を平定された。
その後吉備国に永住し国の統治にあたり281歳の長寿を保ったとされる。
当社は、貞和6年庚寅2月21日(1350・南北朝)に吉備津神社から吉備津彦命荒魂(丑寅御崎大明神)を勧請したのが創建とされ、その後元中元年(1384・南北朝)小社であった八幡神社(品陀和氣命)を再建し、現在の両社宮の形式となり御崎宮と改称した。
文禄2年(1593・安土桃山)宮崎城主高畠市正貞政、安原備中守の手によって両社改築。
慶長8年(1603・江戸)安原和泉守が八幡神社を再建。享保4年(1719・江戸)両社再建。
同11年神祇官領にて御崎宮神階正一位に昇進。
明治初年に社名を鶴崎神社と改める。
明治4年社格制度により郷社に列せられる。
神職は太田家が社家として奉仕していたが、明治6年東太田家、西太田家は小田県から士族に編入され、明治10年頃からは中太田家が社司(宮司)となって祭祀に当たった。
明治40年神饌幣帛供進社に指定される。
昭和10年随神門改築。昭和28年宗教法人令が制定され神社は宗教法人となり明治以降80年の神社に関する国家管理は幕を閉じ、その後は氏子により早島の総鎮守として守られている。
昭和46年本殿屋根銅板葺替。
平成10年社務所移して改築。
春、秋の大祭には吉備津神社の七十五膳据神事と同様に御盛相(米を蒸し円筒形の型枠にはめ押し抜いたもの)を御膳に盛ってお供えする特殊神事供膳祭が古式に則り行われる。
また、秋祭りの神幸祭は寛保元年(1741)から行われており、早島町の秋の風物詩として大きな賑わいを見せる。
◆境内神社
鹿島神社(武甕槌命 タケミカヅチノミコト)
稲荷神社(倉稲魂神 ウカノミタマノカミ)
金刀比羅神社(金山彦神 カナヤマヒコノカミ)
神功皇后宮(息長足比賣命 オキナガタラシヒメノミコト/大鷦鷯命 オオサザキノミコト) 玉依毘賣命 タマヨリヒメノミコト)
素盞嗚神社(素盞嗚命 スサノオノミコト)
鶴崎神社HPより
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