たくみのじんじゃ
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こちらも田縣神社の帰りに見えたので、寄り道お参り🙏
なんとこちらも式内社だそうです。
たくみのじんじゃ、と読むそうです。
ご祭神は日本武尊(やまとたける) 大美和都根命(おおみわつねのみこと)様です。
境内の中に工場(?)があって、挟んだ川辺に神楽殿らしきものがあることに帰りに気づきました!
また次回に行ってみたいですね✨
社標
ご神橋
手水舎
拝殿
右手の末社 春日社 金刀比羅社
左手の末社 津島神社 熱田神宮
こちらも近く祈年祭を行うようなので行きたいですね!
ちょうどお休みですし✨
中止や関係者のみにならなければよいですが…
19時台の参拝不向きな時間に行きました。
うんか祭、直前なので他の寺社仏閣巡りやめて行くべきか迷うところ。
手水舎、時期的に少し出すとだんだん冷たくなっていきます。
ちゃんとお水が出るのはありがたい。
正面から見た感じ
尾張造特有でしょう。渡殿が無いのもあるのか。
渡殿無いのは、神明造ですね。神明造、神明造っと。
これは何でしょうか?
さざれ石ではないね。
ゴミ箱の案内板でした。
蕃塀ではなく透垣ですね。
19時台の参拝なので細部は、、、。
うんか祭って斎藤実盛の怨霊を鎮める慰霊祭の事かな?
歴史
当社は中古社号を工造神社神明と呼称していたが、いつ頃からか神明と唱えるようになり、弘化年間(1844~1847)に託美神社と呼称して現在に至っている。
一説に大工の祖神を祀ったともいわれている。
託美神社(たくみじんじゃ/たくみのじんじゃ)は『延喜式神名帳』にある「託美神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。
創祀年代は不詳。御祭神は日本武尊・大美和都根命。丹羽郡の別の式内社「宅美神社」と同様、工氏(工君・工造・工部、たくみ)との関連があるという。
大美和都根命は、工造の組神、天火明命の十世孫で、「宅美神社」でも御祭神とされる場合がある。
また、「宅美神社」の御祭神は、当社御祭神の日本武尊の子である武田王、つまり稲依別王。当社と「宅美神社」は、父子関係になる。
ただし、両者の関係は不明。なお、式内社「宅美神社」の論社は、一宮市西大海道の宅美神社、犬山市今井の石作神社、小牧市の兒社(児社)がある。
『尾張国内神名帳』に、「詫美天神」とある。かつては現在地の北西500メートルほどの位置。
江戸時代には「神明社」と称し、江戸時代前期の慶安年間(1648年-1652年)木津用水東岸に接した現在地に遷座した。移転は熱田新田へ水を引くための工事に伴うもの。
江戸時代後期の弘化2年(1845年)10月17日に式内社に認定され、明治になり、明治3年(1870年)2月、改めて式内社とされた。論社はない。
明治5年(1872年)5月、村社に列し、明治42年(1909年)9月1日、神饌幣帛供進社に指定された。
入口の鳥居前に石造の太鼓橋があるのが特徴。参道らしきものはなく、すぐに透垣に行きつく。
比較的コンパクトな境内だが、構造物は重厚で歴史を感じる。境内社に、金刀比羅社・津島社・熱田社・田村社などがある。
名称 | 託美神社 |
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読み方 | たくみのじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 《主》日本武尊,大美和都禰命 |
---|---|
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 当社は中古社号を工造神社神明と呼称していたが、いつ頃からか神明と唱えるようになり、弘化年間(1844~1847)に託美神社と呼称して現在に至っている。
託美神社(たくみじんじゃ/たくみのじんじゃ)は『延喜式神名帳』にある「託美神社(尾張国・丹羽郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。 創祀年代は不詳。御祭神は日本武尊・大美和都根命。丹羽郡の別の式内社「宅美神社」と同様、工氏(工君・工造・工部、たくみ)との関連があるという。
江戸時代後期の弘化2年(1845年)10月17日に式内社に認定され、明治になり、明治3年(1870年)2月、改めて式内社とされた。論社はない。 明治5年(1872年)5月、村社に列し、明治42年(1909年)9月1日、神饌幣帛供進社に指定された。
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体験 | お守り祭り |
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