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御朱印帳 | - | ありません | |
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角牟礼城跡に鎮座する。
1601年豊後森藩主・久留島康親(先祖は瀬戸内の海賊・来島氏)が氏神である三島宮を勧請したのが始まり。
本殿(1829年建築)は鞘堂(1822年建築)の中に納められている。
1821年建築の栖鳳楼は8代藩主・久留島通嘉が天守に見立てて改修したといわれる茶屋で、神社祭典の為の参籠所や月見、花見の宴に利用されたという。
拝殿
拝殿
鞘堂
鞘堂
鞘堂
本殿
本殿
本殿
本殿
鎮西八郎射ぬきの石
源為朝が向かいの岩扇山から射た矢がこの石を貫いたと伝わる
日本一大きな手水鉢
五社殿
御社殿(稲荷社・秋葉社・八雲社・大国社・厳島社)
神饌所
栖鳳楼
栖鳳楼
神馬舎
玉濃井
大乗寺から程近い場所に鎮座されております。
庭園が物凄く素晴らしく、道沿いを歩かずに庭園の中を歩いて神社を目指しましたら、すっげぇ山に階段。
登りましら、素晴らしい神社です。
膝が笑ってました。
御朱印頂きました。
これ登らなです。
雨が降ってて危険ですが登りました。
日本一の手水鉢
もっと大きいのありそうですけどね。
拝殿
本殿
御朱印頂きました
歴史
藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
この三島宮は、妙見宮を合祀し、明治6年に末廣神社と改称。
本殿は総檜造りの入母屋造で、江戸後期の文政12年(1829年)の築造。
本殿の建屋を覆う切妻造の「鞘堂」は、文政5年(1822年)の築造とされ、ともに大分県の文化財に指定されています。
末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
天之御中主神が祀られるのはは、北極星または北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀った神仏習合の妙見宮が明治初年の神仏分離・廃仏毀釈で、天之御中主神を祭神とするようになったため。
名称 | 末廣神社 |
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通称 | 三島さま |
参拝時間 | 参拝自由 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《合》天御中主神,《主》大山積神 |
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創建時代 | 1601年(慶長6年) |
創始者 | 久留島康親 |
文化財 | 御神殿(大分県指定有形文化財) |
ご由緒 | 藩政時代、豊後森藩の陣屋町として栄えた、大分県玖珠郡玖珠町森の三島公園にある神社が末廣神社。末廣神社は慶長6年(1601年)、森藩主・来島長親(くるしまながちか)のルーツである来島水軍(村上水軍の一族)が信仰した、伊予・大三島の大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)を勧請した、三島宮が前身。
末廣神社には現在、村上水軍の氏神である大山積神(おおやまつみのかみ=三島大明神)と天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)が祀られています。
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体験 | 祈祷お祓いお宮参り御朱印有名人のお墓 |
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