しののめじんじゃ
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【東雲神社(しののめじんじゃ)】
東雲神社は、愛媛県松山市丸之内、松山城のふもとに鎮座します。松山藩11代藩主 松平定通(まつだいらさだみち)が、藩祖の松平定勝(まつだいらさだかつ)(徳川家康の異父同母弟)の神霊を祀るため仮宮を造営したのが起源となっています。
-祭神ー
①天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)…天皇の祖(皇祖神)。太陽の神。
②豊受大神(とようけのおおかみ)…食物や穀物を司る神。伊勢神宮(外宮)の御祭神。
③天穂日命(あめのほひのみこと)…菅原氏の始祖。
④菅原道真公(すがわらのみちざねこう)…学問の神。
⑤息長福玉命(おきながふくたまのみこと)…松山藩祖である松平定勝。
⑥奇足玉命(くしたるたまのみこと)…伊予松山藩11代藩主で松山藩中興の祖とされる松平定通。
2025年、元旦。天気が良いので初日の出を拝もうと、早起きして東雲神社から松山城に登りました。元旦の朝にお城に登るのは初めてでしたが、思いのほか大勢の人でびっくりでした。日の出時刻は午前7時14分。無事、初日の出を拝むことができました。その後、お城を降り、また東雲神社にお詣りしました。御朱印は、正月3ヶ日のみの対応と聞いていたので是非ともと思っていたのです。すこし並んで、無事御朱印、拝受できました。
一年のはじめ、気持ちの良い朝を迎えられたことに感謝です。
【社号標】
【注連柱(しめばしら)】
【神門】
【鳥居】
【参道・拝殿】
【手水舎】
【拝殿】
【本殿】
【松山城 日の出前】
【松山城 日の出】
【松山城 日の出】
天気が良いので左奥に石鎚を遥拝することができました。
【松山城】
【松山城からの眺め】
【正月犬】
年明け早々 すごいのに出会いました!
【御朱印】

愛媛に帰ってきて真っ先に東雲神社に向かいました
一年のうち正月三が日の間のみ御朱印をいただけるそうなので前々から是非正月の間に伺いたいと思っていました
が、着いた時点でわずかに17時をまわっており、宮司さんはご不在のようでした
来年…また来年ですね(苦笑)
雨が降る静かな中参拝をして帰りました
こちらにお参りするのは30年ぶりくらいです
まあまあ長い階段が続きます
松山城のふもとにあるだけあってどことなく雰囲気が城内っぽいです
立派な社殿
歴史
文政6年12月18日、十二代藩主久松定通公が松山城山揚木戸へ仮宮を営み、従四位下左近衛権少将兼隠岐守源朝臣定勝公の神霊を招請し、息長福玉命と称え、天保8年9月28日神祀官領内勾當の長上従二位ト部朝臣良長卿の執奏により、詔勅を以って東雲霊神の霊号を賜り、同年10月1日東雲霊社の社号を賜り、同月7日明神号に進み、同月15日東雲大明神と称し、天保11年3月14日従四位左近衛権少将松平隠岐守源朝臣定穀の代に、神殿を城山長者ヶ丘に建立した。 爾米一藩崇敬の神社であった。 明治13年2月東雲神社と改称し県社に列格。大正12年4月1日息長福玉命の三百年祭を執行、昭和20年7月26日戦災に罹り焼失し、同48年復興した。
名称 | 東雲神社 |
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読み方 | しののめじんじゃ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 089-921-8938 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご祭神 | 《主》天穂日命,菅原道真公,息長福玉命,奇足玉命 |
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創建時代 | 1823年(文政6年) |
本殿 | 神明造 |
ご由緒 | 文政6年12月18日、十二代藩主久松定通公が松山城山揚木戸へ仮宮を営み、従四位下左近衛権少将兼隠岐守源朝臣定勝公の神霊を招請し、息長福玉命と称え、天保8年9月28日神祀官領内勾當の長上従二位ト部朝臣良長卿の執奏により、詔勅を以って東雲霊神の霊号を賜り、同年10月1日東雲霊社の社号を賜り、同月7日明神号に進み、同月15日東雲大明神と称し、天保11年3月14日従四位左近衛権少将松平隠岐守源朝臣定穀の代に、神殿を城山長者ヶ丘に建立した。 爾米一藩崇敬の神社であった。 明治13年2月東雲神社と改称し県社に列格。大正12年4月1日息長福玉命の三百年祭を執行、昭和20年7月26日戦災に罹り焼失し、同48年復興した。 |
Wikipediaからの引用
概要 | 東雲神社(しののめじんじゃ)は、愛媛県松山市にある神社。神紋は星梅鉢。旧社格は県社。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。 |
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歴史 | 歴史[編集] 文政6年(1823年)、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請した。 文政11年(1828年)、藩祖松平定勝の嫡男松平定吉の神霊を境内の祠へ勧請した(神号は稚国命)。 天保8年(1837年)、12代藩主松平勝善は、松平定勝の神号授与を再度依頼し、東雲大明神の神号が授与され、松山城内の御社へ正式に勧請した。(この年より、松山城山長者が丘に社殿の造営が開始) 天保11年(1840年)、社殿が完成し、藩崇敬の神社とした。 1880年(明治13年)、県社に列した。 1...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 年中行事[編集] 春季例大祭 秋季例大祭 |
引用元情報 | 「東雲神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E9%9B%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101355731 |
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