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しののめじんじゃ

東雲神社の御由緒・歴史
愛媛県 鉄砲町駅

ご祭神《主》天穂日命,菅原道真公,息長福玉命,奇足玉命
創建時代1823年(文政6年)
ご由緒

 文政6年12月18日、十二代藩主久松定通公が松山城山揚木戸へ仮宮を営み、従四位下左近衛権少将兼隠岐守源朝臣定勝公の神霊を招請し、息長福玉命と称え、天保8年9月28日神祀官領内勾當の長上従二位ト部朝臣良長卿の執奏により、詔勅を以って東雲霊神の霊号を賜り、同年10月1日東雲霊社の社号を賜り、同月7日明神号に進み、同月15日東雲大明神と称し、天保11年3月14日従四位左近衛権少将松平隠岐守源朝臣定穀の代に、神殿を城山長者ヶ丘に建立した。 爾米一藩崇敬の神社であった。 明治13年2月東雲神社と改称し県社に列格。大正12年4月1日息長福玉命の三百年祭を執行、昭和20年7月26日戦災に罹り焼失し、同48年復興した。

歴史
歴史[編集] 文政6年(1823年)、松山藩11代藩主松平定通が、藩祖である松平定勝の神霊を祀るため、京都の吉田家に神号授与を要請し、息長福玉命の神号を得て、松山城山揚木戸に仮宮を造営し仮勧請した。 文政11年(1828年)、藩祖松平定勝の嫡男松平定吉の神霊を境内の祠へ勧請した(神号は稚国命)。 天保8年(1837年)、12代藩主松平勝善は、松平定勝の神号授与を再度依頼し、東雲大明神の神号が授与され、松山城内の御社へ正式に勧請した。(この年より、松山城山長者が丘に社殿の造営が開始) 天保11年(1840年)、社殿が完成し、藩崇敬の神社とした。 1880年(明治13年)、県社に列した。 1...Wikipediaで続きを読む
引用元情報東雲神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%B1%E9%9B%B2%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=82332416

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