御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。

【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ
御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり

おすすめの投稿

神祇伯
神祇伯
2025年08月28日(木) 22時28分06秒
1694投稿

陸奥国江刺郡の式内社です。大己貴命さまを御祭神とし、陸奥国を統治していた安倍氏とそのあとを引き継いだ奥州藤原氏の崇敬を長らく受けていました。清衡公から当社の近くに構えていた豊田館という屋敷に住んでいたので事実上氏神さまでもあります。またその関係から源頼朝公が奥州藤原氏を攻めた奥州合戦の際に奥州藤原方が陣を敷いたとされる「二品陣岡蜂社」は当社とされています。

鎮岡神社(岩手県)

《一の鳥居と社号碑》

鎮岡神社(岩手県)

《二の鳥居》

鎮岡神社(岩手県)

《由緒書き》

鎮岡神社(岩手県)

《手水舎》
水は枯れています。洗ひつるここも…(略)

鎮岡神社(岩手県)

《三の鳥居》

鎮岡神社(岩手県)
鎮岡神社(岩手県)

《お塚群》

鎮岡神社(岩手県)

《社務所》
普段は無人のようです。

鎮岡神社(岩手県)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
当社の鎮座地である岩谷堂五位塚は東側にある五位塚墳丘群に由来します。この五位塚は前九年の役で源義朝公に敗れた藤原経清公(前期奥州藤原氏の末代)が埋葬されているとされ、従五位を叙されていたことが墳丘の名前になっているようです。

鎮岡神社(岩手県)

《扁額》🙏

鎮岡神社(岩手県)

《本殿》
三間社流造です。

鎮岡神社(岩手県)

《不動堂》

鎮岡神社(岩手県)

《稲荷神社》

鎮岡神社(岩手県)

《神輿庫》

もっと読む
フジクミ
フジクミ
2019年04月30日(火) 21時32分25秒
226投稿

菅江真澄も訪れた広々とした境内です✨

鎮岡神社の鳥居
鎮岡神社のその他建物

菅江真澄の碑
「ひもろぎ(神籬)」とは、神事などで神を招き降ろす場所という事だそうです

鎮岡神社の鳥居
鎮岡神社の狛犬
鎮岡神社の狛犬
鎮岡神社のその他建物
鎮岡神社の歴史
鎮岡神社の末社・摂社
鎮岡神社の本殿・本堂

不動堂

鎮岡神社の末社・摂社
鎮岡神社のその他建物
もっと読む
投稿をもっと見る|
3

歴史

当神社御祭神は天の下造らしし大神にして、神事を主宰し、農耕を保障する穀神として国民の生業を守護し給う大己貴命(大国主神=大国さま)である。

律令国家当時は、神階を授かり幣帛をあずかる官社として保護が厚く、「延喜式」の神名帳に記されている神社である。(陸奥国百座内 岩手県十四座)

とりわけ前九年、後三年の役のあと亘理権大夫藤原経清と安倍頼時の娘との間に生れた藤原清衡公は、篤くこの神を尊崇し、豊田城を構えた際当神社の御社殿を修築し、天下泰平武運長久祈願のしるしとし、荘園十町歩を献奉、宝庫を建立、武具一式を奉納せしが、のち兵火で炎上したと伝えられる。

その後、時経りて天明5年秋、三河の国の国学者菅江真澄が当神社にぬさたいまつらんと訪れ、今当神社の御神歌と奉る「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬」は、真澄遊覧記「委波氐廼夜麼」に記されている。

明和5年御社殿修築、天保6年再建奉遷、明治6年村社に列格され、その後、御神威を仰ぐ県内外の氏子崇敬者崇信の誠を捧げし寄進をもって、境内を拡張整備、昭和20年11月8日郷社に列せられる。

歴史をもっと見る|
2

鎮岡神社の基本情報

住所

岩手県奥州市江刺岩谷堂五位塚179番地

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

鎮岡神社

読み方

しづめがおかじんじゃ

通称

鎮岡神社

参拝時間

参拝自由

参拝にかかる時間

約10分

参拝料

なし

トイレあり(社務所横)
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きなし
御朱印の郵送対応なし

詳細情報

ご祭神《主》大己貴命
ご神体

不詳

創建時代

不詳

創始者

不詳

本殿

三間社流造

ご由緒

当神社御祭神は天の下造らしし大神にして、神事を主宰し、農耕を保障する穀神として国民の生業を守護し給う大己貴命(大国主神=大国さま)である。

律令国家当時は、神階を授かり幣帛をあずかる官社として保護が厚く、「延喜式」の神名帳に記されている神社である。(陸奥国百座内 岩手県十四座)

とりわけ前九年、後三年の役のあと亘理権大夫藤原経清と安倍頼時の娘との間に生れた藤原清衡公は、篤くこの神を尊崇し、豊田城を構えた際当神社の御社殿を修築し、天下泰平武運長久祈願のしるしとし、荘園十町歩を献奉、宝庫を建立、武具一式を奉納せしが、のち兵火で炎上したと伝えられる。

その後、時経りて天明5年秋、三河の国の国学者菅江真澄が当神社にぬさたいまつらんと訪れ、今当神社の御神歌と奉る「かしこしな あらふるとても ぬさとらば こころしつめの 岡の神籬」は、真澄遊覧記「委波氐廼夜麼」に記されている。

明和5年御社殿修築、天保6年再建奉遷、明治6年村社に列格され、その後、御神威を仰ぐ県内外の氏子崇敬者崇信の誠を捧げし寄進をもって、境内を拡張整備、昭和20年11月8日郷社に列せられる。

ご利益家内安全五穀豊穣
体験祭り武将・サムライ
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ