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![佐竹稲荷神社(東京都)]()
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笑坊主
2026年05月27日(水)595投稿
神田の町中に建つ、秋田藩佐竹家ゆかりのお稲荷さまです。

寛永十二年(1635)秋田藩第二代藩主、佐竹義隆が江戸屋敷の鬼門除けとして創建したと伝わります。天和二年(1682)八百屋お七の火事として有名な大火で、佐竹家の屋敷は移転しますが、その後も近隣の町の鎮守のお稲荷さまとして、この地にとどまったそうです。

大正十二年(1923)の関東大震災で被災、再建されるも昭和二十年(1945)の東京大空襲で再び被災し、昭和三十年(1955)近隣の有力者の協力で、現在の総檜造りの社殿が再建されたそうです。

竜王
2024年03月20日(水)2480投稿

くろぶつ
2026年01月06日(火)156投稿
この日の夜、友人と会合を持つ会場の店の真向かいにありました。早く来過ぎたので、待ち時間にお参り。飾り提灯が綺麗でした。
由緒 当神社は寛永12年(1635年)、佐竹藩2代目当主義隆公が、藩邸の鬼門除けの為に邸内社として勧請した事に始まる。秋田藩主佐竹氏の開祖は、源頼朝の三男新羅三郎義光(幼名を義実)。自ら「稲荷氏」と名乗り、「稲荷三郎」と称していた事から稲荷社となった。以来佐竹家の家紋「扇に日の丸」を社紋とし、火伏の守護神として江戸府中より信仰を集めて来た。
関東大震災により灰燼に帰し、当地に移して再建。昭和20年(1945年)の東京大空襲により再び焼失。昭和30年(1955年)の本格的再建により現在に見られる「総檜一面社御霊屋造」(そうひのきいちめんしゃみたまやづくり)が完成、火伏の神様に加え商売の神様として、多くの信仰を集めている。
16件
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駐車場はないので、近隣のコインパーキングを利用する必要があります。

普段は無人で、地域の有志の方々がお守りしている神社なので、御朱印の授与までは行われていないようです。祭祀は神田神社の神職の方が行っているようです。

大正十二年(1923)の関東大震災で被災、再建されるも昭和二十年(1945)の東京大空襲で再び被災し、昭和三十年(1955)近隣の有力者の協力で、現在の総檜造りの社殿が再建されたそうです。

寛永十二年(1635)秋田藩第二代藩主、佐竹義隆が江戸屋敷の鬼門除けとして創建したと伝わります。天和二年(1682)八百屋お七の火事として有名な大火で、佐竹家の屋敷は移転しますが、その後も近隣の町の鎮守のお稲荷さまとして、この地にとどまったそうです。








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佐竹稲荷神社の情報
| 住所 | 東京都千代田区内神田3-10-1 |
|---|---|
| 行き方 | JR中央線・山手線・京浜東北線、地下鉄銀座線神田駅下車、徒歩1分 |
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