さきちじんじゃ
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「御竜印」頂きました 延喜式内社です1800年以前の創建と推定されています、巳年と亥年の7年ごとに(実質は6年に1度)7日間にわたって行う『七年祭』は佐伎治神社の祭礼で県下最大だそうです。
【若狭國 式内社巡り】
佐伎治神社(さきち~)は、福井県大飯郡高浜町宮崎字宮内にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は素戔嗚尊、稻田姫命、大己貴命。
創建は不詳。社伝によると、景行天皇の御代、磐鹿六雁命が若狭国造に任命された時は既に存在していたとしている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「若狭國 大飯郡 佐伎治神社 小」に比定されている。元は周辺の別地にあったが、戦国時代に逸見氏が碎導(さいち)山城の麓の現在地に遷したとされる。江戸時代後期までは「碎導明神」、「碎導宮」と呼ばれていたが、1833年に現在の「佐伎治神社」と改めた。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR小浜線・若狭高浜駅の東南東500mの市街地の外れ、砕導山の北麓にある。境内は入口から大きく、非常に整備されていて入りやすい雰囲気。一段高いところに社殿があり、境内社が同じ高さの場所に間隔を空けて横に並んでいる。
今回は、福井県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午前中で、スーツを着たサラリーマンの一団が昇段祈祷を行っていた他は、自分以外に一般参拝者は見掛けなかった。
境内北端入口全景。当社は碎導山の北斜面にあるため、珍しいことに社殿が北を向いている。
境内入口の<一の鳥居>と<社号標>。
参道右手にある<手水舎>。
手水舎の水の出口は<龍>と<亀>。
社殿周り全景。社殿は一段高い石垣の上にある。森林に包まれているような造り。
参道左手にあるのは、おそらく<社務所>。
参道右手にある<能舞台>。
いよいよ階段を登って<二の鳥居>をくぐる。
階段上左側の<狛犬>。
階段上右側の<狛犬>。
階段上左側の狛犬の少し奥にある<神馬像>。
階段上右側の少し奥にある<神輿庫>。
<拝殿>全景。周りは現代的なサッシで囲われている。日本海を渡って来る雪対策かな。
<拝殿>内部。参拝時、たまたま会社員十人ほどが昇段祈祷を受けていた。
拝殿から振り返って境内全景。
社殿の右側にある<玉垣稲荷神社>。
社殿の左側にある<撫で牛>。ここから左方向(東方向)の境内社を順に見ていく。
撫で牛の近くから、拝殿後ろの<本殿>。
本殿の左手にある<日吉神社>。
日吉神社の近く、谷側(北側)に立っている<御船舎>。
「明神丸」という北前型弁才船の模型(明治時代1883年製作)が収められていて、住吉三神を祀っている。
日吉神社の左手にある<和鐘(雨乞鐘)>。建武新政期1336年に近くの浜に漂着したと伝わる。建物の中の実物は見えない。
和鐘の左手、少し離れたところにある<御霊神社>。
<御霊神社>の建物は覆屋で、中に精巧に造られた小さな社殿が収められている。
御霊神社の近く、谷側に立っている<祭器庫>。
最後に、境内東端に建っている<廣嶺神社(天王社)>。牛頭天王を祀っている。(^▽^)/
<御竜印巡り 福の神参り9>
山裾にある神社さん。
少し登り拝殿から見下ろした境内は気持ちの良い風景☘️
最後の桜の花が微かなピンクの色を添えて、柔らかな雰囲気の境内でした。
高浜町に1800年以上前に創建されたといわれ、旧高浜町一帯の総鎮守としてあがめられる神社さん。
若狭地方最大の七年祭りが行われます。
6年おきに営まれ、県の無形民俗文化財に指定されています。 祭りの期間は7日間で、白装束の男衆が3基の御輿をかついで町内を練り歩くほか、太刀振り・お田植・神楽・曳き山などの芸能が繰り広げられます。
山裾にある境内。
少し登って拝殿からの景色。
最後の桜吹雪🌸美しい境内でした。
綺麗な気持ちの良い境内。
拝殿
摂社の稲荷神社⛩️と狛犬さん
境内社と狛犬さん
とにかく狛犬さんがいっぱい!
新しい狛犬さんからベテランさんまでいますよ😊☘️
天満宮さんには撫牛さんも
御朱印
書き置きの御朱印、御竜印、御城印が拝殿脇に置かれています。
御竜印
御城印も頂きました。
歴史
延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)記載の神社。中古の時代に社記等が消失したため定かではないが、景行(けいこう)天皇の侍臣であった磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭國造を授けられた時にすでに当社が鎮座していたと伝えられている。今より千八百年以前の創建と推定される。 当社はもともと現在地から一・五キロメートル東北の薗部(そのべ)の森に祀られていたが、八穴(やな)山(現在の城山)に奉遷(ほうせん)され、 さらに戦国時代に辺見駿河守昌経(へんみするがのかみまさつね)が砕導山城(さいちやまじょう)の裾の現在地に遷祀(せんし)した。
その後高浜城主木下惟俊(きのしたこれとし)による再建、同堀尾吉晴による鐘楼建立、小浜藩主酒井忠勝による本殿修補ならびに拝殿建立とあいつぎ、社頭(しゃとう)も大いに賑わった。 戦国時代には砕導大明神(さいちだいみょうじん)と呼ばれていたが江戸後期の天保四年(一八三三)六月に旧名の佐伎治社と改め、以後佐伎治神社と呼んでいる。
明治八年四月に県社となった。神紋は橘(たちばな)。
名称 | 佐伎治神社 |
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読み方 | さきちじんじゃ |
参拝にかかる時間 | 約10分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0770-72-0041 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://sakichi-jinja.com/ |
詳細情報
ご祭神 | 《主祭神》 素盞嗚尊 稲田姫命 大己貴命 |
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創建時代 | 不詳 |
ご由緒 | 延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)記載の神社。中古の時代に社記等が消失したため定かではないが、景行(けいこう)天皇の侍臣であった磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が若狭國造を授けられた時にすでに当社が鎮座していたと伝えられている。今より千八百年以前の創建と推定される。 当社はもともと現在地から一・五キロメートル東北の薗部(そのべ)の森に祀られていたが、八穴(やな)山(現在の城山)に奉遷(ほうせん)され、 さらに戦国時代に辺見駿河守昌経(へんみするがのかみまさつね)が砕導山城(さいちやまじょう)の裾の現在地に遷祀(せんし)した。 その後高浜城主木下惟俊(きのしたこれとし)による再建、同堀尾吉晴による鐘楼建立、小浜藩主酒井忠勝による本殿修補ならびに拝殿建立とあいつぎ、社頭(しゃとう)も大いに賑わった。 戦国時代には砕導大明神(さいちだいみょうじん)と呼ばれていたが江戸後期の天保四年(一八三三)六月に旧名の佐伎治社と改め、以後佐伎治神社と呼んでいる。 明治八年四月に県社となった。神紋は橘(たちばな)。 |
体験 | 祈祷おみくじ御朱印お守り祭り |
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