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歴史

館山市沼の柏崎区の氏神で、平安時代中期頃に安房国の国司(こくし)として京の都から赴任した源親元(みなもとのちかもと)をお祀りした神社。親元は嘉保3年(1096)から康和2年(1100)の4年間国司を勤め、仏教の徳をもって国を治めた。任期を終えて京の都へ帰るとき、別れを惜しむ住民が出立を阻んだので、親元はやむなく着ていた直衣(のうし)の左袖を解いて与え、柏崎から船に乗ったといわれている。永久2年(1114)に親元の死去を伝え聞いた人々は、その徳を慕って親元の居宅址に小祠を建て、遺品の片袖を祀ってこの神社が創建されたと伝えられている。
(館山市立博物館公式HPから引用)

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名称國司神社
読み方こくしじんじゃ

詳細情報

ご祭神《主》源親元
ご神体源親元の直衣の左袖
創建時代1114年(永久2年)
文化財

柏崎の御船歌(館山市無形民俗文化財)

ご由緒

館山市沼の柏崎区の氏神で、平安時代中期頃に安房国の国司(こくし)として京の都から赴任した源親元(みなもとのちかもと)をお祀りした神社。親元は嘉保3年(1096)から康和2年(1100)の4年間国司を勤め、仏教の徳をもって国を治めた。任期を終えて京の都へ帰るとき、別れを惜しむ住民が出立を阻んだので、親元はやむなく着ていた直衣(のうし)の左袖を解いて与え、柏崎から船に乗ったといわれている。永久2年(1114)に親元の死去を伝え聞いた人々は、その徳を慕って親元の居宅址に小祠を建て、遺品の片袖を祀ってこの神社が創建されたと伝えられている。
(館山市立博物館公式HPから引用)

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