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歴史

社伝によれば坂上田村麻呂が対蝦夷戦争(蝦夷征討)に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願し[1]、戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に三山の神を勧請して創祀したという。また、康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたともいう。

中世には和賀氏から社領70石を寄進され、江戸時代になると元和4年(1618年)に南部藩藩主南部利直より社領23石が安堵された。

近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、境内に隣接する毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ[1]、古くからともに熊野山成島寺(じょうとうじ)を別当としていたが、明治初年(19世紀後葉)の神仏分離で成島寺を廃寺とした際に独立し、毘沙門堂とも分離した。旧社格は村社。

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熊野神社の基本情報

住所

岩手県花巻市東和町北成島5-1

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

熊野神社

通称

三熊野神社

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》伊弉冊之命,事解男之命,速玉男之命
ご由緒

社伝によれば坂上田村麻呂が対蝦夷戦争(蝦夷征討)に際して、征矢立(せいやたて)の森に登って紀伊の熊野三山に戦勝を祈願し[1]、戦勝後の延暦21年(802年)にこの地に三山の神を勧請して創祀したという。また、康平5年(1062年)に源義家が前九年の役で安倍貞任を追撃した際には鏑矢を奉納して戦勝を祈願し、奥羽平定を叶えたともいう。

中世には和賀氏から社領70石を寄進され、江戸時代になると元和4年(1618年)に南部藩藩主南部利直より社領23石が安堵された。

近世には「熊野権現宮」と呼ばれ、境内に隣接する毘沙門堂(成島毘沙門堂)の鎮守とされ[1]、古くからともに熊野山成島寺(じょうとうじ)を別当としていたが、明治初年(19世紀後葉)の神仏分離で成島寺を廃寺とした際に独立し、毘沙門堂とも分離した。旧社格は村社。

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