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くにいちぎじんじゃ

国渭地祇神社のお参りの記録一覧
埼玉県 西大家駅

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タケ
タケ
2023年02月22日(水)491投稿

◎鎌倉街道散策
『鎌倉街道』
 中世時代に鎌倉から関東諸国をとおり信濃、越後、陸奥などの地方を結ぶ交通路で、鎌倉幕府の御家人が「いざ、鎌倉」と馳せ参じた道であり、鎌倉時代から戦国時代までの関東武士の栄枯盛衰の歴史舞台でもあります。

 鎌倉幕府倒幕の終盤戦である分倍河原からの「鎌倉街道上道」は、新田義貞や畠山重忠等の坂東武者の物語に縁の寺社仏閣、古戦場が多く残っています。更には源氏に縁のある武蔵野国を探って見る事にしました。
 一昨年、府中市(分倍河原)をスタートし国分寺•東村山•久米川•所沢•小手指•入間川•狭山•堀兼•柏原•高萩と日高市高萩まで電車と徒歩で辿って来ました。NHK大河「鎌倉殿の13人」も終了したことを機に、その先を約1年半振りに辿ってみることにしました。先ずは、埼玉県坂戸市(西大家駅)から毛呂山町に入る寺社仏閣と鎌倉街道沿いの名所のルートを進みます。

★鎌倉街道散策(坂戸市〜毛呂山町)1
【散策ルート】
西大家駅〜①国謂地祗神社〜②万葉遺跡大家が原歌碑〜③森戸橋〜④馬頭観音〜⑤市場神社〜⑥街道跡〜⑦延慶の板碑〜⑧崇徳寺跡〜⑨川角古墳群

 東武越生線西大家駅を起点として、先ずは坂戸市森戸の国渭地祇神社です。西大家駅前の踏切を渡り、旧鎌倉街道を北へ向かう坂を下り始めた右にあります。
①国渭地祇神社(クニイチギジンジャ)
 国渭地祇神社は坂戸市森戸にある神社で、創建年代等は不詳ながら、延暦年間に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀衡が創建したとも伝えられます。社号は国一熊野大権現が国渭地祇(クニイチギ)に訛ったのではないかといい、江戸期には熊野社と称し、慶安2年(1649)江戸幕府より社領10石の御朱印状を拝領、森戸村の鎮守社だったといいます。
 毎年10月15日に行われる「しし舞」は坂戸市指定無形文化財になっています。

 国渭地祇神社から旧街道を北に少し行くと左へ坂戸西高に入る道があり、その途中の東京国際大グラウンドの入口に万葉遺跡「大家が原歌碑」があります。
②万葉遺跡大家が原歌碑
 万葉集14巻 3378
「入間道の大家が原のいはゐづらひかばぬるぬる吾にな絶えそね」

「入間野に生えている、『いはゐづら』を引けばぬるぬると続いて切れないように、私とあなたの間柄も何時までも続いていて欲しい」
 この歌の大家郷が現在の越生から坂戸の一部である大家付近と推定されています。入間道は鎌倉街道上道の前身の古代の道と思われます。

 旧街道に戻り、更に北上すると森戸橋が見えてきます。鎌倉街道上道が高麗川を渡ったと思われる付近に架かる橋が森戸橋です。
③森戸橋
 最近まで、狭く普通自動車一台しか通れなかったが、2020年に新しく架替えられ今は安全に渡れるようになりました。
 高麗川は蛇行が多く古来より幾度となく氾濫して来たものと思われます。ツワモノ達が鎌倉を目指し、高麗川を渡河した場所は、この付近と推定されます。

 森戸橋を渡り北へ向かう道を行くと、付近は河川敷のためか、街道跡らしさはあまり感じられません。
④馬頭観音
 毛呂山町の市場の台地に上る少し手前の道端に、ひとつの馬頭観音の石塔がぽつんと立っています。

 この先、毛呂山町に入った街道は、西大久保と市場の境、及び大類と川角の境を越辺川岸まで進みます。毛呂山町内の推定鎌倉街道上道は、埼玉県内で最も良好に街道跡が残るところなのです。

国渭地祇神社の周辺

西大家駅

国渭地祇神社(埼玉県)

①国渭地祇神社 社号標柱と鳥居

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惣一郎
惣一郎
2021年08月03日(火)1269投稿

国渭地祇神社(くにいちぎ~)は、埼玉県坂戸市にある神社。式内論社で旧社格は村社。祭神は八千矛命 天照皇大神 伊弉諾尊 伊弉冉尊の4柱。

創建は不詳。延暦年間(782年~806年)に坂上田村麻呂が東征の帰途に社殿を造立したとも、奥州藤原秀平が創建したとも伝えられている。社号は国一熊野大権現が訛ったものではないかと言われ、江戸時代には「熊野社」と称し、江戸幕府から朱印地10石を下賜され、森戸村の鎮守とされた。明治時代になって、国渭地祇神社と改称した。
平安時代927年の『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 入間郡 国渭地祇社 小」の論社とされているが、一般には北野天神社(埼玉県所沢市小手指元町)が有力とされる。

当社は、東武越生線・西大家駅の北方100mほどの県道74号線沿いにある。駅には近いがお店はないので、普通に田舎の幹線道路沿いの住宅街の一角にあるイメージ。境内はちょっとした広場に社殿がいくつか並び、夏祭りを開くにはちょうどいい広さのいわゆる<ザ・村の鎮守>サイズ。境内は木々も少なく古木も見当たらないので、歴史は感じられない。明治時代に入って「熊野社」から「国渭地祇神社」と改称しているので、おそらく式内社ではないのでしょう。

今回は、武蔵国の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午後、自分以外には誰一人いなかった。

国渭地祇神社の鳥居

大通りに面した、境内入口の<鳥居>。

国渭地祇神社の手水舎

鳥居をくぐって右側にある<手水舎>。

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